岩手県の沿岸部に位置する大槌町は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた町のひとつ。死者・行方不明者は全町民の1割近い約1300人を数え、当時の町長も津波の犠牲となった。私が訪れた6月、一部ではすでにがれきが片付けられていたが、それはきれいになったというより、何もなくなってしまったという印象が強かった。また、震災から3カ月が経過していたにもかかわらず、ほとんど手つかずの状態で津波の痕跡が残っている場所もところどころに見受けられた。
4日間のボランティア活動内容は、個人宅でのがれきや床下に溜まった海水・泥の撤去、河原の清掃など、現地の要請に合わせて毎日変わる。清掃活動を行った大槌川の河原は大部分がきれいになっていたものの、ゴミ拾いをするなかでたくさんの物を見つけた。家の壁や瓦の一部、誰かの思い出の写真、腐敗の進んだ魚のかたまり。あの日、津波が家や車、がれきなどありとあらゆるものを連れて川を数キロ遡り、置いていった物たちだ。
その河川敷一面に菜の花を咲かせようと、震災後いち早く動き出した地元の男性がいる。荒れ果てた川を目にして「川が泣いている」と胸を打たれた男性は、県に許可を得ると5月に一人でツルハシを持ち出して河川敷を耕し始めた。一人の思いからスタートしたこの取り組みは多くの共感を呼び、今では「大槌町菜の花プロジェクト」という一大プロジェクトになっている。清掃や雑草除去のボランティア、菜の花の種や肥料、トラクターの寄付、応援メッセージなど、大勢の人がそれぞれの形で支援し、9月の種まきには延べ1万人以上が参加。皆がまいた希望の種は、台風で水没という災難に見舞われながらも無事に発芽し、11月には一部早咲きの菜の花が河原を黄色く彩った。
今は雪の下でじっと冬の寒さに耐えている大槌町の菜の花。順調に育っており、4月下旬には開花する見込みだ。ちょうどゴールデンウィークの時期に満開を迎えることもあり、現在、地元の方々が「菜の花祭り」を開催しようと企画しているところだという(開催は未定)。復興のシンボルとなる黄色い幸せの花が開くまで、もうあと少し。
震災から1年、日本各地で様々な復興への取り組みが展開されている。がれき撤去や泥出しといった作業もまだまだ必要とされている一方、地元の産業を盛り上げよう、被災地として以外の面も見てほしいと観光に力を入れる動きなど、各地の特色を活かす取り組みも増えてきた。「菜の花プロジェクト」のように、地元の人が発端となって始まる活動も多い。そうやって地道に活動をしている方々は、直接的な支援はもちろんのこと、応援メッセージをもらうことが本当に嬉しいのだという。今回協力していただいたプロジェクト支援会の方も「現地の方にとって、自分たちの活動を多くの人が知ってくれているっていうことが、僕らの想像している以上に大きな支えになっているようです」と伝えてくれた。
カナダと日本は遠い。自分のできることが限られているようで、もどかしく思うときもあるかもしれない。でも気持ちは必ず届いている。大切なのは、被災地の方々にとっては現在進行形で1年間ずっと継続している出来事で、今もなお支援を必要としている人が大勢いるのを忘れないこと。そして、何かしたいと思うときがきたら、遠い場所からでも、誰にでも、いつでも、できることはあるはず。メッセージひとつでも、誰かにとっての大きな励みになるのだから。
(取材 栗田茜)

 

大槌町菜の花プロジェクト支援会 http://ameblo.jp/ohtsuchi-nanohana/

岩手県北観光(ボランティアバスツアー) http://www.kenpokukanko.co.jp/

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。