2018年8月16日 第33号

今年の「原爆展」では広島で被爆したランメル幸さんが講演した。被爆体験と自身が執筆した本の内容を紹介。二度とこのような悲惨な体験を誰にも味わってほしくないと訴えた。

 

著書を手に笑顔を見せるランメル幸さんとチャールズさん。(8月5日バンクーバー市)

 

 「原爆展」(バンクーバー9条の会主催)は、毎年8月第1週末にブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市のオッペンハイマー公園周辺で開催される日系人のお祭りパウエル祭期間中に、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館4階で2日間にわたり開催されている。

 今年は8月4日、5日に、「21世紀の核問題を考える」をテーマに開かれた。

 ランメルさんは5日に講演。4日には予定されていた落合栄一郎博士の講演「21世紀の核問題」が急遽中止になったため、ランメルさんがワークショップを開いた。

■二度とこのような悲惨なことが誰にも起こらないように

 ランメルさんは今日のような原爆体験を語る機会が得られることを「すごくいいと思う」と笑顔を見せた。しかし、笑顔で人前に立って話せるようになるには時間がかかった。

 きっかけは2011年3月11日に起こった東日本大震災だという。講演の中で、あの地震がきっかけで福島にある原子力発電所に事故が起こったのを見て、放射能の怖さを、原子力の扱いをすごく大事にしなくてはいけないことを伝える必要があると思ったと語った。

 それまでは楽しい思い出で原爆の嫌な経験を覆い被すように閉じ込めていた。「だから長い間話さなかった」と振り返る。

 しかし今は機会があれば、出かけて行って体験談を語っている。「今日もすごく熱心に聞いてくださったでしょ。皆さん、平和について、核について、それぞれの思いがあるんだなって思いました」と語っていく手ごたえを感じている。

 スコーミッシュに住んでいた頃は、その地域やウィスラーの学校などで話をした。「(原爆のことを)知らない人が多い」というのが実感だ。だからこそ被爆者として語っていかなくてはいけないと、若い人たちへの伝承を自らの責務として担っていく覚悟をしている。バンクーバーに移ってきた現在は地域で機会があれば、ぜひ語っていきたいと意欲を見せている。

 「若い人たちに、もっともっと平和のこととか、核の怖さとかを、考えてほしい」。核兵器は自分たち人間が努力しなければなくならないからだ。そのために「いかに核とか原子力爆弾が大変なことかということをみんなに話したい。ほんと知らない人が多いから、もっともっと広げて伝えていきたいと思います」と語った。

■2006年から始まったバンクーバー9条の会主催「原爆展」

 原爆展が始まったきっかけは2006年にブリティッシュ・コロンビア大学で開催された世界平和フォーラムだった。この時に参加した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)から寄贈された原爆の悲惨さを訴えるパネルをどうにか有効に活用して、平和活動に役立てないかということから始まった。

 以来、パウエル祭での2日間に毎年開催している。

 今年は例年よりも多くの人々が会場を訪れ、ずらりと並べられたパネルに熱心に見入っていた。

 ランメルさんの講演の時には、会場に入りきらないほどの人が集まった。講演の前には、夫のチャールズ・ランメルさんが予備知識として被ばくした広島について丁寧に解説した。

 講演ではランメルさんが執筆した著書「忘れないでヒロシマー神は愛なりー(英語版/Hiroshima; Memories of a Survivor)」から内容を抜粋して朗読した。今でも原爆の影響で大きな声が出せないというランメルさんが静かに読み上げる悲惨な体験の詳細は、その場にいた参加者に何かを訴えたようだった。

 被爆者から直接英語で体験談を聞くというバンクーバーでの貴重な機会に、集まった人々は講演が終わったあともランメルさんに話しかけるなど、大きな関心を示していた。

 バンクーバー9条の会を代表してこの日あいさつした中川健さんは、8月5日ランメルさんの講演時間が、73年前に広島に原爆が投下された日本時間8月6日8時15分の約5時間前であることを説明して、全員で黙とうを捧げたあと、今日のような活動が世界の核兵器廃絶と平和への草の根運動として重要だと訴えた。

(取材 三島直美)

 

 

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