2018年6月21日 第25号

 2017年7月24日のヒル・タイムス紙でスー・ウォン(オンタリオ州スカーボロ - アジャンクール選挙区選出の州議員)は彼女の提出した「(オンタリオ州に)南京虐殺記念日を制定するための法案」を弁護して、この法案はオンタリオの人々に「真実」「不正」を教え、「人権を促進する」ための運動の一環であるとしている。もしこの法案79が可決されたなら、この法案は、我々カナダ人が築き上げてきたカナダ人としての経験や価値観に注目を集める代わりに、外国(中国と日本)の論争問題をカナダに持ち込むことになる。

 カナダ国内のある一人種を犠牲にして他の一人種の仲介役になり、しかもそれが外国二カ国の問題である場合、この法案を支持することは、我々全ての者に関わる問題である。多様文化主義の国として世界のモデルにならんとしている我々にとって、これはカナダ人の価値観を持ち包括性のある社会を目指すための、良い種蒔きとは言えない。カナダに住むことを選んだ様々な人種の殆どが生国での過去の紛争を経験している筈である。

 オンタリオ州の、ひいてはカナダ人の価値観から言えば、我々は世界史を無視しようともしなければ、過去の紛争をここカナダにおいて長引かせようともしない。それとは反対に、我々の価値観ゆえに我々は多人種の言語や文化的遺産を保持し、カナダ独特の包括性のある、対等な者同士の社会を築くことを目指している。

 日系カナダ人は主に1877年から1907年にかけて移住してきたが、第二次世界大戦中には、何十年もの間カナダ市民であったにも拘らず敵国人とみなされ、強制収容された。カナダ生まれの日系人でさえ、外国日本で起こった事のためにその外国の血筋を引いているというだけで、土地財産所有権も市民権も剥奪された。1940年代の日系カナダ人は、日本帝国軍の行為と罪なき日系カナダ人の権利とをカナダ政府が区別できなかったために迫害を受けたのである。法案79は、彼らの社会にも歴史にも完全に無関係なことのために、日系カナダ人をそしることに再び我々を導こうとしている。

 こういう事は再び起こってはならない。こういう事が起こらないように「カナダ人種関係ファウンデイション(Canadian Race Relation Foundation, CRRF) が1988年のリドレス・アグリーメントの一環として設立された。CRRFの使命は「日系人の戦時体験から学び、日系コミュニティーの希望を代表し、人種差別が排除され個人の尊厳が尊重されるカナダを目指す」ことにある。

 もし、スー・ウォンが提唱するように我々はカナダ人に真実、不正、人権を教えなくてはならないなら、外国二ケ国間の紛争に手を突っ込む代わりに、カナダに特有な経験から始めてはどうであろう?

 例えば、
・ カナダにおける黒人奴隷は1800年代まで、黒人隔離主義は1900年代初頭まで続いた
・ 1885年の中国人移民法は頭税を課し、1923年の中国人移民法は中国人の移民を禁止した
・ 1907年以来日本とインドからの移民は制限された
・ 1942年に日系カナダ人はカナダ政府により強制収容され、財産は没収され売却された。彼らは自発的に日本への送還を願い出るように1947年までプレッシャーをかけられた。
・ 1942年から1972年までアルバータ州在住のハッタライト達(民族宗教団体)は土地所有を制限されていた
・ BC州では1953年までデューコボア達(これも民族宗教団体)は選挙権を拒否されていた
・ 反ユダヤ人偏見は今日にまで及んでいる
・ 南アジアと中国系カナダ人には1947年まで選挙権がなく、日系カナダ人には1949年まで選挙権がなかった。

 オンタリオの人々に真実、不正を教え人権を促進するために外国のナショナリズムから来る問題をカナダの法律によって規制しようというのは、氷に覆われた下り坂を歩くようなものである。

 オンタリオの人々に情報を与え教訓をたれるにしても、古傷を切り開いて国民を二分したりオンタリオの人々を互いに闘ったりさせずにしようではないか。我々はオンタリオ、ひいてはカナダの将来に希望を持ち、前向きになり、多様主義社会のモデルとして世界に誇ることのできる国になるように努力すべきである。

 ゲアリー・カワグチ氏は日系カナダ人文化会館の理事長である。

ヒル・タイムス

(この原稿は英語で書かれたものを日本語に翻訳したものである。)

 

 

 

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