2017年10月26日 第43号

日本とカナダとの相互理解の促進に寄与した功労により、平成29年度外務大臣表彰を受賞した水田治司(みずたはるじ)さん(84)の表彰伝達式が10月18日、在バンクーバー日本国総領事公邸で開かれた。

バンクーバー日本語学校並びに日系人会館関係者、家族など28人が参加する中、岡井朝子総領事より表彰状を受け取った水田さんは「身に余る光栄です。カナダに長い歴史を持つバンクーバー日本語学校の一員としてお手伝いできたことを誇りに思っています」と語った。

 

表彰状を手にする水田治司さん(左)と岡井朝子総領事

 

日本語学校との50年

 水田さんは日本からカナダに渡った両親の下に、ブリティッシュ・コロンビア州レベルストークで生まれた。当時多くの家族がそうしたように、就学時になると母親の故郷、和歌山県の三尾村へ。高校を卒業して大阪で就職したが1955年に22歳でバンクーバーに戻った、いわゆる『帰加二世』である。

 ガソリンスタンドと修理工場の経営、日本への木材輸出などを手がけた。バンクーバー日本語学校には長女が5歳で入学。かれこれ50年の付き合いになる。

 「1970年代の日本語学校は、私のような帰加二世の子弟が95パーセントを占めていました。学校で習う日本語と、家で話す田舎言葉の違いを子どもたちは感じていました」と笑う。

 

リーダーシップと功績

 冒頭に挨拶した岡井総領事は、着任後まもなく水田さんから日系コミュニティについての話を聞き、当地に長い歴史があることを印象深く受け止めたと述べた。

 バンクーバー日本語学校は戦後の再開、財政難などを乗り越え、創立111年もの歴史を持つ。水田さんは校舎建て替え事業計画に技術部門の責任者として深く関与し、50年間で3回理事長を務め、現在は理事として記録文書のアーカイブ化などに携わっている。

 BC州和歌山県人会では会長を3回歴任。和歌山県人渡加100周年記念事業では委員長を務め、工野ガーデンの造園とリッチモンド市への寄贈、記念文書の作成に携わった。

 バンクーバー仏教会では1977年の日系移民100年祭に携わり、新たな本堂建設計画を進めた。

 岡井総領事は「リーダーシップを取り、これだけの素晴らしい功績をあげられましたことに改めて敬意を表したいと思います」とスピーチした。

 

こころの大切さを

 今年度の受賞者は187個人、45団体で、そのうち海外在住受賞者は160個人、36団体。「ひとえに歴代の校長先生はじめ先生方が日本語教育にまい進され、それを支えてこられた当時の維持会・母子会のみなさんの結晶であり、私ひとりの力ではないと考えております」と感謝の言葉を述べた。

 「日本語教育、日本文化の継承を通して日本とカナダの架け橋になること、そして“こころ”の大切さを教育方針とし、この日本語学校がいつでも帰ってこられる心やすらぐ場所でありたいと願っています」とスピーチした。

 元教頭で現在理事の内藤邦彦さんは「水田さんは日本から学生が訪ねてくると日系人の歴史を伝え、言語学の先生には三尾村の方言を説明しました。それが論文として発表されています。三尾村とリッチモンド市スティーブストンの歴史を知る生き証人のような人です」と、その人柄を和やかに紹介しながら、水田さんの著書『カナダ移民の子ー帰加二世物語』を広く紹介していきたいと述べ、乾杯の音頭を取った。

 出席者の中には水田さんとともに学校を支えた元母子会会長、大江洋ひろこ子さん(85)や理事会役員、教職員もおり、和気あいあいとした祝賀晩餐会となった。

 

水田治司(みずたはるじ):1933(昭和8年)大阪出身の父と和歌山出身の母との間にカナダで生まれた。少年時代を和歌山で過ごし、戦後22歳のときにカナダに戻った。同じく帰加二世の妻の明美さんとの間に娘がふたり、孫がふたり。著書に『カナダ移民の子ー帰加二世物語』(牧歌舎、2007年)がある。

(取材 ルイーズ 阿久沢)

 

祝賀晩餐会に出席したみなさん

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。