2016年11月10日 第46号

10月22日ブリティッシュ・コロンビア州リッチモンドのエグゼクティブ・エアポート・プラザホテルで、カナダの辰巳流日本舞踊46周年記念公演と懇親会が行われた。

テーマは「舞ごころ」。もてなしと感謝の思い、ステージ上の隅々に大きな紅葉、脇に配されたすすき、優雅な雰囲気を創り出す照明。その舞台で踊り子たちは古典の『千代の舞扇』から演歌『船方さんよ』まで、1時間の中で趣の異なる演目を披露。フィナーレでは生徒全員が紅葉を手にして明るく踊り、華やかで美しいステージを締めくくると、観客から拍手と賛辞が贈られた。

ステージ演目、プログラム、スライドショー、あいさつ、どの一片を見ても、来場者への細やかな気配りが感じられたこの会。辰巳会を率いて会を準備してきた平野千代子さんの胸の中心にあったのは「支えてくださった親御さんたちに喜んでもらいたい」の思いだ。

 

カルガリーの楓(かえで)会のメンバーも参加し、全員で『21世紀音頭』を陽気に踊った(撮影 Ken Sato)

 

両親の姿が後押し

 平野千代子さん(芸名・辰巳芳喜代)は1941年リッチモンド市スティーブストンで日系二世の両親の元に生まれた。第2次世界大戦中の日系人の強制移送でブリティッシュ・コロンビア州グリーンウッドへ。1946年、両親の出身地和歌山県三尾村(現・美浜町)に家族で移住した。物心ついたときから踊りのまねごとをしていた千代子さん。その姿を見て母は「この子にひとつでも好きなことをやらせてやりたい」と若柳流舞踊の先生の元へ。「祖母は『踊りなんて贅沢な』という人でしたので、母がこっそり家の裏で稽古着を渡してくれましてね」(千代子さん)。当時の先生のこと、足の動きが少しでも違っていれば、扇子でピシャリと叩かれてしまう。でも稽古が終わればにこやかに。踊りの喜びはずっと千代子さんの心を捉え続けた。

 11歳でカナダに帰国。幸いバンクーバーには駐在員の夫人として花柳流の師範が滞在し、直接指導を受けられた時期があった。日本文化の紹介として各種の会に呼ばれ、たびたび踊りを披露。その都度、千代子さんの両親はせっせと着付けを手伝い、舞台を袖から見守った。そして舞台が終わると我が子や仲間が観客に握手やハグを求められる姿に目を細めていた。そうした両親や観客の笑顔が千代子さんの胸を熱くし、芸の精進へと向かわせた。

 そのうち周囲から千代子さんに「我が子に教えて」と声が寄せられるようになった。「教える以上は」と師範の道を求め、知人の紹介で東京・中野の辰巳流の門を叩き、1970年4月カナダ人で初めての日本舞踊の師範に。そして「日本とカナダの文化の架け橋になれれば」と辰巳会を発足。千代子さんは20年間カナディアン・パシフィック・エアライン(現エアカナダ)で社員教育を担当する社員として勤務していた。その仕事の利点もあり、日本を訪れては先生の稽古の見学、衣装の買い出し、地方の民謡踊りの研究に励んだ。

 カナダでの公演は、観客の予備知識やショーに求めるものなど、日本とは環境が異なる。芸事を習う際の慣習についてもしかり。「エンターテイメントとして楽しさを味わう中で、カナダの人たちに日本文化を学んでほしい。そして日本の恥になってはならない」。そうした責任感をつねに感じている。まず自分自身の修養をと、踊りを通じて日本文化を学び、環境に合うよう衣装や演目を熟慮しながら活動を続けてきた。

 

踊りに込められた日本の美と情緒をカナダの人々に

 特に思い出深いのは1977年の日系百年祭でのこと。百年祭実行委員会は音楽と踊りを通して日本文化をカナダ国民に伝える企画を立てた。踊り手を公募して結成した「日加ダンサーズ」に、辰巳会からは十数人がメンバー入りした。舞台のフィナーレを飾る『ワンダフル・カナダ』(歌・島倉千代子)の振り付けも公募。そこにカナダの風景を取り入れた千代子さんの振り付け案が採用された。舞台を飾る大道具は踊り手の家族と夫・平野政己さんが準備。トロント、ハミルトン、カルガリー、エドモントン、レスブリッジ、バンクーバーへの日加ダンサーズのカナダ横断公演の様子はカナダのテレビで放送された。ステージを見た日系三世の感想に「日本の文化がこれほど美しいとは知らなかった」という声があった。それは戦時中、日系人排斥の経験を持ち、日系であることを隠して生きてきた人の言葉だった。

 この巡業をきっかけに、レスブリッジとカルガリーで踊りのグループが発足。以来、千代子さんは指導を頼まれ、38年間出向いてきた。後にビクトリアの踊りの会も出張先に加わっている。

 同じく1977 年にはエリザベス女王戴冠25周年記念のイベントで、カナダの建国と移民の歴史を紹介するステージに辰巳会メンバーも出演を果たした。

 これまでのシニアホームへの慰問公演は数えきれない。いつも生徒の親たちが着付けに舞台にと援助を惜しまず働いてくれた。ビクトリア遠征の際には、公演の時間が迫っており、船中で髪結いなどの準備をして船客の注目を浴びたことも。そんな楽しい思い出も数えきれない。

 

長い年月をかけて育まれた絆

 辰巳会の歴史の新たな1ページとなった46周年公演。当日は、会発足当時の生徒たちも受け付けなどで会を手助けし、仲間との再会を喜び合っていた。仲の良さが印象的だ。

 舞台の裏では生徒の着付け、髪結いを手伝いながら、あちらこちらに目配りし、息つく暇のない千代子さんの姿があった。「自分の踊りの時には足が上がらなくなりそうでした」。千代子さんの出番は、全員が出演する最後の演目の直前。皆の準備が整うよう時間を稼ぐ役目でもある。「しっかり踊らなくては」と力を絞り出した。ステージがすべて終わると「水、水、水!」。ようやくカラカラになった自分の喉を潤した。「まだデンとする自信がないのです」と苦笑する。

 公演会は「お弟子さんたちに何かの思い出を残してあげたい。そしていつもは陰から見るばかりの親御さんたちに正面からゆっくり観ていただきたい」と10周年以降、4、5年に1度催してきた。「舞い」「ふれあい」「和」といったテーマを掲げて、その精神が生徒の普段の心がけにも行きわたるように気を配ってきた。開催のたびにコミュニティーへの寄付も行った。今回はスティーブストン日系ランチプログラムへの寄付だった。

 後半の懇親会では日系三世、四世の生徒たちが、英語のスピーチの後に慣れない日本語でも丁寧に精一杯、師匠の千代子さんと平野政己さんにお礼を述べた。そのメッセージでは自分たちの幼い頃の出来事にも触れた。クリスマスになるとベーカリーの職人である政己さんが一人ひとりに小さなジンジャー・ブレッド・ハウスを用意してくれた。みんなでワイワイと飾り付けをした懐かしい思い出の紹介だった。

 最後にマイクの前に立った千代子さんは、現生徒、これまで習ってきた生徒たち、そして会の実施に尽力した協力者への感謝の思いだけを語り、深々とおじきをした。

(取材 平野 香利)

 

46周年記念公演で『千代の舞扇』を踊る生徒たち (撮影 Ken Sato)

 

花束を持つ平野千代子さん(右から5番目)。会発足当時の生徒たちも加わって(撮影 Ken Sato)

 

36年間千代子さんの指導を受けてきた浦田純子さんが『大川ながし』を(撮影 Ken Sato)

 

会にかわいさを添えたスギハラ・マイさんは『祇園小唄』を(撮影 Ken Sato)

 

『大慶の舞』で凛とした舞い姿を見せる辰巳芳喜代師範(平野千代子さん)(撮影 平野香利)

 

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