信頼されるサプライヤーに
9月13日、この日65歳を迎えた創業社長朝岡満さんから長男の誉さんに、会社の長としてのバトンが渡された。
父のビジネスを支えて
富山県で家業の精肉店を引き継ぎ発展させていた父・満さんが、北米に魅力を感じて家族で移住した時、誉さんは6歳だった。父がガーデナーとして働き出した時には、刈った木切れを集める手伝いを12歳から、父が材木輸出の事業を始めれば、供給者との交渉に当たった。2002年に肉ミート創業後も父の片腕となり、米産高級和牛の西部カナダ販売権を獲得するなど当初から力を発揮してきた。
味の良さと安定供給を重視して
創業時から逆風が吹き荒れた。BSE問題、鳥インフルエンザ、最近の口蹄疫事件…。しかし「初期に供給先を広げたことでなんとか切り抜けられました」と 誉さん。牛肉はアルバータ、オンタリオのほか、前述の高級和牛は日本の肥育者が米国でじっくり手間と時間をかけて育てたものを、豚肉はアルバータや近郊、鶏肉も地元を中心とした生産者から「味の良いもの」を仕入れている。「おいしい肉を食べてもらいたいですから」。肉の品質を保つために、価格には変動があっても仕入れ先を変更せず、安定して供給できる生産者と取り引きを続けている。
肉屋ミートだからできることで差別化を
「肉を売るだけでは、価格競争となりやすいんです」。大手が値を下げれば太刀打ちは困難だ。そこで精肉販売だけでなく、餃子やソーセージ、親子丼やしょうが焼きの肉など、加工して付加価値を付ける方法も取ってきた。肉のうまみがしっ かり詰まった日本の味は顧客に好評だ。また、小売から卸し中心へと事業の舵取りをしてきたことで、立ち上げから4年で安定に向かっていった。
レストランなど得意先のビジネス発展は肉の売り上げにつながる。「おかげさまで本当にいいお得意さんたちとパイプが強くなってきて」。先方との話し合いを通じて、卸しの形を工夫することで、相互にいい効果が現れてきている。
立ち止まることなく前へ前へ
ビジネスは決断の連続だ。弟の傑(すぐる)さん、UBCの日本語専攻で出会った夫人も仕事のパートナーで相談相手となっている。
ハラハラしたのは移転時のこと。卸しを中心の展開にしてから、ヘイスティングス通りに構えた店舗が手狭になった。5年のリース切れを機に移転しようと1年間探して現在の場所を購入したが、内装に時間がかかり、やむを得ず前店舗のリースを更新。幸い途中で引き継げるテナントが見つかり胸をなで下ろしたが、そのままリースも続けていれば大きな出費になるところだった。
けれども誉さんからはそんなリスクも恐れぬ意志の強さが伝わってくる。記者がそう伝えると、「運営することよりもビジネスを立ち上げる方が勇気が要る。それは父だからできたことかもしれない」と語った。しかし、ためらわず前に突き 進む、静かだが強いものを持っているのは確かだろう。それは極めてきた剣道のおかげだろうか。「剣道には『人生の歩き方』 を教えてもらいましたね。胸を張って正々堂々と人生を送っていきたい。会社の経営も、です」。目標は、との問いには、「お客様から信頼されるナンバーワンのサプライヤーになりたいですね」と返答。白いワイシャツがますます光って見えてきた。
(取材 平野香利)