2006年9月、佐藤製薬はバンクーバーに現地法人事務所を開設した。佐藤製薬は1915年創業、100年近い歴史を持つ中でカナダへの進出は初の試み。 その初代現地責任者に就任したのが鈴木聖十さん。日本ともアメリカとも異なるカナダの薬事法などを勉強しながら、市場開拓に取り組んでいる。
カナダで医薬品を販売する難しさとおもしろさ カナダで医薬品を販売するということはかなり難しい。カナダの薬事法の基準は厳しく、アメリカとも日本とも異なる。「カナダの場合は、成分から何から全 部報告して、日本の工場をこちらの係官が査察をして、カナダの基準に沿った衛生管理をしていることを確認しないと、医薬品として輸入できないんですよ」 それでも、「そういういろいろな難しさをひとつひとつクリアして、商品をカナダに紹介できるようになる、その課程と結果が楽しいですね」と話す 。 「アメリカですでに発売している商品を、同じ商品名でカナダで発売しようとしたら、『そんな商品名では売れないよ!』と一蹴されました。そこで、 カナダ人にアピールするような商品名に変更しなければならなくなる。さらに、限られたスペースに英語とフランス語の併記が求められ、その上消費者にアピー ルするような。ユニークなパッケージ・デザインも要求される。すべてが新しいチャレンジですけど逆におもしろいですよね」
バンクーバーに移住 日本の信販会社では10年以上も海外の投資プロジェクトを担当していた。それからサンフランシスコで、100億円を超える大型プロジェクトなどの整理、バンクーバーでも同様の整理業務をこなした。そしていずれは日本に帰国する予定だった。 「3年くらいバンクーバーに駐在してそろそろ日本へという会社の指示があったんですけど、もうその気はなかったですね。というのも、日本の会社の状況も 把握していたし、いまさら日本に帰っても今の会社では自分の経験は全く活かせないことを確信していましたからね」 そしてカナダに永住する決意をした。「ホテル、レストランの投資もやっていたし、マネージメントにも細かく関与していたので、まずは(経営)コンサル ティング業を始めました」。それとほぼ同時進行で、京都のデザイナーの婦人服を扱う仕事もこなしていた。「その時に思ったのは、いくらよい商品を扱ってい ても、市場規模に合ったそれなりの広告宣伝を行わないとなかなか成功しないということですね。そうすると個人でやるには限界があるということです」 そんな時、たまたま佐藤製薬がカナダで事業を始めるにあたって人を探しているという話が来た。「日本でも歴史のある会社だし、何よりもカナダ全土をカ バーするような広告宣伝活動を行えるだけの資金力のある会社なので、けっこうおもしろそうだなと思いました」
100%生かされているこれまでの経験 「確かに分野は違いますけど、薬事のコンサルタントや関係当局と折衝をする点も、マーケットを開拓していくという点でもある意味同じなんですよね。そう いう細かい交渉のプロセスというのは、扱うものが変わってもノウハウは同じなんですよ。フィールドは違うけれども、これまでの経験は100%ここで活かせ ていると思います。昔は医学分野を志望したこともあったので、医薬品の名称や医学用語などにはそれほど抵抗がないし、これまでの全ての経験の集大成として 今の仕事ができるんだという感じでやってます」
“NO CHALLENGE, NO SUCCESS” 「仕事というだけではなく人生も同じですけど、モットーにしていることは、ひとつは、 “No Challenge, No Success”。何事も、チャレンジしなければ成功はないでしょうし、結果はどうであれ、チャレンジしてみないことには結果は出ないし。それともうひと つ、絶対にあきらめない、“Never Give Up”でしょうね。最後の最後までどうなるかわからない。良い意味でも、悪い意味でも、大どんでん返しというのはあるんですね。最後まであきらめてはいけ ないということは、いやというほど経験しましたね」 現在は、ユンケル黄帝液のみをバンクーバーで販売しているが、これからは新しい商品も続々販売予定。さらに今後はトロントなど東の大都市での販売網拡大に向けた戦略も練っている。 「仕事が息抜き」という鈴木さんの『趣味』はこれからが本番だ。 これから続々発売予定の佐藤製薬ラインナップ (取材 三島直美)
鈴木聖十さんプロフィール 福岡県出身。大手信販会社に就職。1997年サンフランシスコに転勤。99年からバンクーバー在住。 |
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