エンジニアからの転換 日本ではエンジニアとして、地質調査の会社で軟弱地盤の土質調査をしていた植山さん。働き詰めだったその頃、友人の代わりにカナダへ旅行することになり、その時紹介されたのが、大学の20年先輩である、ガーデナーの上柿拓生さんだった。 1983年、上柿さん宅で、初めてガーデナーという仕事に出会った。5月中旬で気候も良く、芝刈りや造園の手伝いをしながら味わった開放感。大学では土 石流を追いかけ、仕事では土質調査で土に触っていたものの、実際の土いじりは初めてだった。「こんなおもしろい仕事があるのかな、と思いました」 また、上柿さんの娘さんが、ガーデナーの父を誇りに思う姿を見て、更に感動した。 移住を目指し庭師として修行 日系ガーデナーズ協会から、修行先を紹介してもらい、帰国後半年で、両親に内緒で退社。葉山の『泉山園』の門を叩き、庭師としての修行を始めた。 バンクーバーがすっかり気に入り、カナダへ移民申請したが、5年続けて却下された。その間、休暇で訪れたバンクーバーで、日系ガーデナーズ協会のソフト ボールチームに参加した時には、ぜひこの人たちのように、日系ガーデナーズ協会の会員になりたいと強く確信した。 カナダへの憧れを抱いてからすでに13年。庭師としての経験を積みながら、移民を半分あきらめていた矢先、日系ガーデナーズ協会から弁護士を紹介された。今度は庭園設計士として申請すると、面接もなく半年で許可が下りた。
お客さんと話すのが好き 97年に移民し、上柿さんの下で働きながら、カナダ式の仕事を覚えた。日本では庭木の手入れに重点を置くが、カナダでは芝の見栄えに重点を置く所が多い。 1年後、上柿さんから、いつまでも人の下で働いていてはいけないと言われ、バンクーバーの姉妹都市『ヨコハマ』を入れた会社名を命名してもらい独立。お客さんも数件紹介され「上柿さんには本当に感謝しています」と頭を下げる。 日本では、人から人への紹介で広げていくことを教えられてきた。「いいお客さんというのは、大事にしてくれる人。信用して任せてくれる人ですね」。話をしながら、お客さんの望むような庭を造ってあげたいと考えている。
手をかければいい花が咲く この仕事のやりがいは、生きものに触れていることだ。「植物は手を抜けば死んでしまうけど、手をかければいい花が咲きますから」。年間契約しているお客 さん宅へは、毎週芝刈りに行く。この国で雨を嫌っていたら何も出来ないから、と雨の中でも仕事をする。そして最適の時期を見計らって庭木の手入れをする。 バンクーバーでは、除草剤が使用禁止のため、雑草が生えにくいような、密な芝を育てることが大切だ。気候温暖化で、今では1年中仕事が出来るようになった。
後継者の指導 9月に『第5回国際日本庭園シンポジウム』が東京であり、日系ガーデナーズ協会の会長として出席した際には、後継者募集を呼びかけてきた。同協会は、あ と2年で50周年。一時会員は100人を越えたが現在は54人。「今の若い人は、土いじりを嫌いますからね」と苦笑い。まして人手不足の今は、人材確保が 難しくなっている。 将来を期待していたヘルパーに辞められ、困った経験もある。今はメインテナンスの仕事で忙しいが「仕事を覚えてもらい、核になってくれる人が出来たら、造園の設計施工をしたいですね」と希望している。 鎌倉、逗子、葉山などで修行中、親方からお茶の話が出来ないと仕事にならないと言われて入門した表千家。「無にならないと、いいお茶が点てれない。おもしろいですね」。 正月には、お茶を点てるのが恒例だ。 (取材 ルイーズ阿久沢)
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