チャレンジ精神旺盛で偉大な父、それを支えた母 「かな屋 Cana-Ya」のブランドで知られる餃子のメーカー、メープルリーフ・トレーディングは可那子さんのお父さんの道彦さんが設立した会社である。もともと は飛行機や自動車のメカニックであった道彦さんがある日突然、まったく専門外だった餃子屋をはじめる、と言ったときはとてもびっくりしたそうだ。他に誰も 餃子を作って売っていなかった、また冷凍保存ができる、というのが理由。といっても道彦さんが餃子を作れたわけではなかった。「お前、作れ」と言われた可 那子さんのお母さんの靖子さんが、何度も試作を繰り返し、現在の味を作り上げた。 会社設立当時はひとつひとつ手作りをしていたが、道彦さんの目論みが当たり、注文が増えて追いつかなくなったため、日本から輸入した機械を使って餃子の 皮作りと包む工程をオートメーション化した。しかし、靖子さんのレシピによる味は手作りのときから変わっていない。現在は11人の従業員で3種類の餃子を 作っている。 ひとりっ子としての責任感 ブランドネームの「かな屋」の「かな」は、可那子さんの名前から取った。可那子さんは学校を卒業後、バンクーバーを離れ、日本で航空会社に勤めた経験を 持つ。可那子さんにいろいろな世界を経験してもらいたいという両親のサポートもあり、充実した7年間を過ごし、とても楽しかったと話す。 靖子さんの病気を機にバンクーバーに戻り看病に専念していたが、昨年道彦さんが突然亡くなったため会社を引き継ぐこととなった。会社を継ぐことに迷いは なかったという。両親が一生懸命働いて会社を発展させてきた姿を小さいときから見てきた。両親の努力の成果である手塚家の会社を父の代で終わらせたくな い、そして道彦さんの「北アメリカの人みんなにかな屋の餃子を食べてもらいたい」という遺志を継ぎたいという強い気持ちがあった。
よい材料、厳しい品質管理、そして家族と従業員のサポート 道彦さんはとても仕事に厳しい人だったそうだ。よい材料を使い、品質管理を徹底することに全力を注いだ。かな屋の餃子の真似をする会社が出てきても、品 質と味でかなわずいつの間にか消えていったという。今では営業をしなくてもレストランの方から「餃子を売ってほしい」と注文がどんどん入る。「あまり注文 があると生産が追いつかないので、それはそれで困るんです」とうれしい悲鳴をあげる。 消費者の立場に立ったまじめな営業姿勢が会社を支える。従業員あってこその会社。道彦さんは働いてくれる従業員をとても大切にしていたそうだ。可那子さ んも引き継ぐにあたってサポートしてくれた従業員にとても感謝していると話す。可那子さんの夫も会社を手伝っている。家族と従業員のサポートで偉大な父、 道彦さんを失うというつらい時期を乗り切った。
地道にそして夢は大きく 引き継いだ会社をもっと大きくしたいと目を輝かす可那子さん。可那子さんは現在妊娠7カ月。どうやら男の子らしい。3代目になるこの子にも「餃子を好き になれー」って、話しかけているんです、と、幸せそうに笑う可那子さんから、2代目社長として道彦さんの地道でまじめな方針を引き継ぎながらも、もっと大 きく発展させたいという強い意思と責任感が感じ取れた。出産後は子育て、本格的な社長としてのスタートで多忙な日々が続きそう。好きなダンスやハイキン グ、旅行をゆっくり楽しめるのは少し先になりそうである。
(取材 瓜生真衣)
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