これまでを大切に、そしてこれまで以上の隣組を

40年にわたり日系コミュニティの人々を影になり日なたになり支えてきた隣組に、新事務局長として藤田レスリー氏が、新たに設けられたデベロップメント担当局長としてカワード・ジョシュ氏が就任した。

これまで事務局長が担ってきた役割をスペシャリスト2人に託した形で、11月1日から新体制で隣組を盛り上げている。

その藤田事務局長とカワード担当局長に、隣組事務所で話を聞いた。

 

隣組事務所の玄関で。藤田氏(左)とカワード氏(右)

 

スペシャリスト 2人による新体制

 藤田事務局長が隣組の管理運営を、カワード担当局長が主にファンドレイジング(資金集め)を担当する。前任の岩浅デイビッド事務局長までは、この二つの役割は事務局長一人が担っていた。しかし今回は適任者2人がそれぞれ得意分野でその手腕を発揮する。

 藤田氏は隣組が事務局長をフルタイムで募集していたことは知っていたという。96歳になる母親が隣組のプログラムを活用していて、隣組には定期的に足を運んでいた。募集を見て「日系コミュニティに貢献できるいい機会だと思ったが、フルタイムでは難しい」と感じた。「自分は今、母親の世話をするという機会に恵まれているし、ほかにもビジネスで興味があることがあるので」とその理由を語った。それでも、「自分のこれまで培ってきた経験と能力を隣組のために役立てたいと思い、フルタイムでは無理だがとの条件付きで応募しました」。

 同じころにカワード氏も同職に興味を示していた。「すごくやりがいのある仕事だと思った」が、日本語が得意ではないため応募はしなかった。ただ、岩浅前事務局長に電話で話し、2人でこの職務を担当できるようにはならないだろうかと相談してみたと明かした。「自分は、ファンドレイジングの分野が専門だし、得意だし、このポジションだと日本語を流ちょうに話す必要もないし」。この提案が結果的に通る形で、藤田氏が事務局長に、カワード氏がデベロップメント担当局長に就任し、2人で専門分野に集中し、隣組を支えることになった。「私はファンドレイジングについては、ほとんど経験がない。しかし、事務所の管理運営ならこれまでの経験を生かせる」と藤田氏。両者にとっても、隣組にとっても、いい感じでの新体制発足となった。

 この日、事務所を訪れていた岩浅デイビッド前事務局長は、「いいタイミングでいい人が見つかって、とてもラッキーだった」と2人の就任を歓迎した。5年9カ月事務局長を務めた岩浅氏は、「とても楽しかった」と振り返った。新事務所への移転など、忙しい時期に大役を務めた。「ほんとはリタイアして、バンクーバーでのんびりとボランティアでもという気持ちで、コミュニティに貢献できればと事務局長を引き受けた。でもやってみるとすごく忙しかった」と笑った。「大変だったけど、コミュニティを知ることができたし、有意義な仕事ができたという機会だった」と事務局長の仕事を語った。

 

日系コミュニティとの深い縁

 藤田氏はブリティッシュ・コロンビア州ペンティクトン出身の日系3世。ブリティッシュ・コロンビア大学在学中に約1年半、名古屋の大学に留学し、両親、祖父母の祖国で日本語を学び、日本文化に触れる機会を得た。

 大学卒業後はオカナガンのリゾート地に就職。その管理運営を任された。2007年からは2010年2月に、バンクーバーで開催されたバンクーバー冬季オリンピック・パラリンピックの組織委員会(VANOC)で、競技施設の雪の管理とゴミ処理の管理責任者となった。リサイクルを徹底していたバンクーバー五輪では重要な役割を担った。その後はフリーで仕事を引き受け、仕事に追われる毎日から少し離れることを決めた。

 そんな時、空いた時間にボランティアをはじめ、2010年から隣組でもボランティアとしてかかわった。その時は、特に役職などはなく、自分のできる範囲でのボランティア活動だった。その後2011年から約2年間、隣組の理事を務める。その間に、隣組事務所の移転があり、新事務所の設定にもかかわった。この隣組とのかかわりが、バンクーバーの日系コミュニティと積極的にかかわるきっかけとなった。「私自身の日系コミュニティの知識は隣組を通してしかまだ知らないんですけど」と語ったが、つながりは深い。

 母親はバンクーバー生まれのバンクーバー育ち。戦前までオッペンハイマー公園近くのパウエル通り沿いで暮らしていた。母方の祖父母は当時その辺りでホテルを経営していたという。「日系コミュニティに貢献できればうれしい」というのが藤田氏の同職への動機だ。

 一方、カワード氏は「日系コミュニティにはもう20年近くかかわっています」という。日系シニアズ・ヘルスケアの建設当初からかかわり、日系プレースのファンドレイジング責任者も務め、新さくら荘の開館にも携わった。現職につくまでは日系プレースファンデーションのエクゼクティブ・ディレクターを務めていた。日系コミュニティとのつながりは、ほとんどライフワーク。自身は日系2世。隣組の存在は、日系プレースのためにファンドレイジングをしている時に、「いい意味での競争相手だった」存在として知っていた。当時隣組は新事務所建設に向けた募金集めに奔走していた。「デイビッド岩浅さん(前事務局長)の努力で隣組がいい成果を上げていたので、こっちも刺激された」と笑った。「隣組がいい機関だということはよく知っていました」。

 

これまで隣組が培ってきたものを大事に そして新しい隣組を

 事務局長である藤田氏の役割は隣組の管理運営。隣組をスムーズに運営していくことが一番の役割だ。そのために藤田氏が心がけていることがある。それは隣組が安全で、清潔で、管理が行き届いていて、そしていつも快く人々を受け入れる事務所であること。「隣組はいつでもコミュニティを手助けすること、困った人に手を差しのべることを、そのアイデンティティとしてきた組織。それに加えて、隣組の最も得意とするところは、ここに来たならいつでも『ウェルカム』な気分になれるところだと思います」と藤田氏。「みんながフレンドリーで温かくて、こうした雰囲気というのは昨日今日すぐにできるものではなく、隣組が作り上げてきた文化だと思う」。それを継承していくために4つのプリンシプルを大事にしていきたいと抱負を語った。

 デベロップメント担当者の最も重要な任務はファンドレイジング。25年間、ファンドレイジングやコミュニティデベロップメント、ソーシャルデベロップメントにかかわってきたカワード氏は、小さな変化を起こすことで大きな成果を上げるアイデアを隣組のためにやっていきたいと話す。たとえば、募金でもこれまでは20ドル以上でないとレシートを発行しなかったが、今後はどんなに小さな金額でもレシートを発行していきたいと思っているという。「どんなに小さな金額でも全ての募金が我々にとって大事だということを示していきたいから」と理由を語る。「募金してもらう人に、大きな金額でないと重要な募金ではないみたいに感じてほしくないから。10ドルでもその人にとっては大金という人もいるかもしれない」。小さな金額の積み重ねが隣組にとっては大きなものになると信じていると語った。

 イベントの開催の仕方、広告掲載などによる募金など、アイデアは尽きない。「ここにかかわっている全ての人が、精神的にも、肉体的にも、すごく一生懸命頑張っているから、それをなんとか形にしたい」。自分はその手助けをしているだけとカワード氏。「1975年の開館以来、かかわってきた人々は隣組をよくしようと努力してきた。それに少しでも貢献したい」と語った。

 「隣組として我々の目標は、もっと人々にこの施設を使用してもらうこと」と藤田氏。新事務所の辺りは、若者やさまざまな人種、職業の人々が多く集うコミュニティで、日本の文化をもっと知ってもらうためには非常にいい場所にあるとカワード氏。これまで隣組が日系コミュニティのために行ってきた努力と成果を踏襲しつつ、新しいコミュニティとのつながりも築いていきたいと2人の意見は一致していた。      

(取材 三島直美)

 

隣組ビルディングの前で。カワード氏(左)と藤田氏(右)

 

隣組のロゴが大きく入ったビルディング。ビル所有者として入居事務所管理も事務局長の仕事に加わった

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。