バンクーバーでモバイルゲーム開発拠点を立ち上げた

人は何にワクワクするのか。何を面白いと感じ、何にハマるのか。バンダイナムコスタジオの中山淳雄氏は、遊び手の心をつかむゲームのあり方を日々追求し続けている。日本ではゲーム業界だけでなくコンサルティングや人材業界でも経験を積んできた中山氏は、2013年に渡加し、バンダイナムコの海外初の開発拠点を一から立ち上げた。その後二年間でこのスタジオの事業を軌道に乗せ、今年からはシンガポールで新規事業の立ち上げに挑戦する。全速力で走り続ける日々の原動力になっているのは、「日本のコンテンツを世界中の人に届けたい」という情熱だ。昨年11月、センター・フォー・デジタルメディア(CDM)のキャンパス内にあるバンダイナムコスタジオ・バンクーバー社を訪ね、モバイルゲーム産業の現状や今後の目標について中山氏に話を聞いた。

 

コンテンツ業界の海外展開をライフワークにしたいと語る中山淳雄氏

 

■カナダに初めて来たのは?

 2004年に、旅行でユーコン準州に行きました。日本で先輩から「特別な体験がしたいなら、ユーコンに行くといいよ」と勧められて、友人とユーコン川をカヤックで下ったんです。厳しい自然の中での非常に危険な旅でしたね。僕は冒険が大好きで、他の人があまり行かないところに行って楽しむタイプです。その次にカナダに来たのは、バンクーバーにバンダイナムコスタジオを立ち上げた2013年です。

■バンダイナムコスタジオ・バンクーバー社の事業について教えて下さい。

 従業員約25人で、モバイルゲームを開発しています。「PAC-MAN 256」(2015年8月)、「PAC-MAN BOUNCE」(2015年10月)と二作をリリースしたばかり。今年は三作目が出ます。日本市場というのは特殊で、日本で売れているゲームは他の国の人には理解できないようなものが多い。でも北米で売れるゲームというのは、世界中で売れるんですね。ターゲットとなる市場の規模が全く違う。このスタジオを設立したのは、北米の消費者に合うゲームを北米の作り方で製作するためです。

■日本と北米の作り方の違いとは?

 北米と日本は対照的ですね。日本では優れた個人が全体をとりまとめて、ある程度仕様を決めたあとに上から下におろしていくようなスタイル。逆に北米では、スピード重視でディスカッションしながら、どんどん積み上げてつくっていくようなスタイル。大きくて精巧なものを作るには日本型が良いんですが、小さなものを試験的にどんどん作るには北米型の方がうまくいく。モバイルゲームの場合は、北米の作り方が合っています。

■バンクーバーのモバイルゲーム産業の現状をどう見ていますか?

 この産業は、投資によって成り立っている面が大きいです。リリースされるゲームタイトルのうち開発資金を回収できるものは少ないのですが、たまに出るヒット作に惹かれて投資家が集まるので、開発会社はどんどんチャレンジできる。たとえば、フィンランドのスーパーセルが作ったゲーム「クラッシュ・オブ・クラン」が爆発的にヒットしましたが、そういう会社が一つでもあると、その国や都市に世界中から投資が入って産業が活性化します。でも今のバンクーバーには、そういう「スーパースター」と言える存在がいないんです。ほとんどがインディーズで、IUGO、A Thinking Ape、Hotheadなど、良いモバイルゲームを作っていることで知られる会社は5社くらい。バンダイナムコも「PAC-MAN 256」で認知され始めていますが、このくらいではまだまだ足りないですね。ひとまず、年間100億円の売上高を稼ぎ出すタイトルをバンクーバーから出せるかどうか。それがこの産業の未来につながっていくと思います。

■バンクーバーのゲーム産業の強みは人材の質の高さと税制優遇といわれますが。

 もちろん、そうですね。バンクーバーには、サンフランシスコに匹敵するほど優秀なエンジニアやアーティストがいると思います。それからカナダはゲーム産業に対する投資インセンティブが世界一高い国で、税制面のメリットは大きいです。でも州別でみると、BC州よりもケベック州とオンタリオ州の方がインセンティブが高い。そのため、ゲーム開発会社がバンクーバーからモントリオールやトロントの方へ拠点を移してしまうこともしばしば。米国のシアトルやポートランド、さらにシンガポールなど東南アジアの都市もデジタルメディア産業の活性化のために動いているので、都市間の競争は激しくなっています。

■日本企業のグローバル化については、どう感じていますか?

 一筋縄ではいかないなと感じますね。日本企業がグローバル化するためには、方向性を二つに分けると良いのではないかと思います。日本でうまくやる人と、海外で日本の強みを生かす人というふうに役割を分担する。たとえば、台湾や韓国の企業のグローバル化は進んでいますが、それは国内市場が小さく、そうせざるを得ないから。日本には潤沢で安定的な国内市場があるので、日本企業にとってはそれを守ることも一つの大きなミッションです。ただ逆にそこで勝ち得た強みが海外では通用しないことも多く、グローバル化のための抑止力になってしまったりする。だから、僕の個人的な考えになりますが、日本企業は会社全体をグローバル化に向けるのではなく、国内と海外で二つ部隊を違うロジックで走らせることで、成功を手に入れるのではないかと最近感じています。

■マギル大学のMBAプログラムでの経験について教えて下さい。

 マギル大学なんですが、これはモントリオールではなく東京で全課程を英語で行うというプログラムだったんですね。毎週末、朝から夜まで新宿のヒルトン東京で授業がありました。英語が苦手な僕にとっては本当に大変で、泣きながら必死で勉強していました。でも東京にいながら英語のMBAに挑戦したことで、今のバンダイナムコでのチャンスも掴めた。このプログラムで出会った教授やクラスメイトにも、とても良い刺激をもらいました。世界各地でビジネスに挑戦する人の姿を見て、インスピレーションがわきましたね。

■休日はどのように過ごしていますか? 

 家族で外食に出かけることが多いです。4歳の娘と、昨年生まれたばかりの息子がいるので、休日はできるだけ育児を手伝うようにしています。カナダでの出産というのは素敵な経験になりました。あと、妻はインドア派なのですが、僕はアウトドア派で、特にマラソンが好きなので一人でよく走っています。

■バンクーバーにバンダイナムコスタジオが開設されたことは、地元コミュニティにとって嬉しいことですが、どのように応援できますか?

 今のモバイルゲーム業界というのは、おひねりの世界なんです。芸人は舞台で人を笑わせて、それを面白いと思ったお客さんがおひねりを投げてくれる。それと同じように我々の作ったゲームをぜひダウンロードしてプレイしていただいて、もし「いいな」と思えたら、課金していただければありがたいです。それが次に作るための活力になります。

■今後の目標は?

 僕はコンテンツ業界の海外展開をライフワークにしていこうと決めていて、だからこそ自分がちゃんと産業を回せる良い経営者になりたいです。まだまだ経営者の卵である僕がバンダイナムコで勉強させてもらっているので、バンダイナムコに恩返ししたいという気持ちも強いですね。カナダでもシンガポールでもターゲットになるのが世界の市場というところは変わりません。ぜひバンクーバーでの2年の経験を新天地でも生かし、日本のソフトパワーが世界に波及していく推進役となりたいです。

(取材 船山祐衣)

 

中山淳雄氏 プロフィール

1980年宇都宮市生まれ。2004年東京大学西洋史学士。2006年東京大学大学院社会学修士。2014年マギル大学MBA修了。(株)リクルートスタッフィング、(株)ディー・エヌ・エー、デロイトトーマツコンサルティング(株)に勤務。2013年からバンダイナムコスタジオで活躍。著書に『The Third Wave of Japanese Games』、『ヒットの法則が変わった いいモノを作っても、なぜ売れない?』 、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』がある。

 

センター・フォー・デジタルメディア(CDM)のキャンパス内にある開発スタジオで

 

初めてカナダを訪れたのは2004年。ユーコン川をカヤックで下った (写真提供 中山淳雄氏)

 

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