日系人の歴史を、建物と共に後世へ伝える

 

第2次世界大戦前、ブリティッシュ・コロンビア州リッチモンド市のスティーブストンで、地域医療に貢献してきた日系人病院の中で唯一残されていた事務舎を、その歴史を伝える記念館に改装する作業が最近完了し、その公開式典が6月5日に行われた。来賓のほか、病院ゆかりの人や近隣住民など約200人が集まり、日系移民の足跡を後世に伝える、この建造物のオープンを祝った。

 

好天のもと、建造物前で行われた式典

 

当時のカナダで、最先端の医療システム

 戦前、スティーブストンの日系移民が作り上げた互助組織、スティーブストン漁者慈善団体。この団体が1900年に建築・開業した病院は、30人以上収容可能な共同病室のほか個人病室や手術室も備え、また家族単位のメンバーシップ料を導入して治療の無料化を実現するという、カナダ初の医療保障制度を導入したことでも知られている。また、日本語学校の建設などその活動は多岐に渡り、さらに、日系人だけではなく、地域全体の生活環境改善に多大な貢献を行ってきた。

 『漁者病院』と呼ばれ親しまれてきたこの病院があったのは、スティーブストンのNo.1ロードとチャーダム通りの角(現在は高齢者住宅メープル・レジデンスの敷地となっている)。病院は戦中の強制移動により閉鎖され、その跡地も戦後、クラブハウス建設のために陸軍海軍空軍ユニット284に売却された。 しかし、そのうちの病院事務舎(木造平屋建て)だけは、賃貸住宅に改装されて2007年まで使用されてきた。

 そして2007年、この病院跡地に高齢者住宅建設の計画が持ち上がった際に、その場に記念碑を建立することと、この事務舎をスティーブストン博物館脇に移設し、記念館として保存するアイデアが提案され、2010年よりプロジェクトが始動、そして、この一般公開の日を迎えることとなった。

 

地域交流イベントのメインに

 一般公開式典は、リッチモンド市が地域交流のイベントとして毎年行っている『ドアーズ・オープン』のオープニングも兼ねていた。このイベントは、市内の様々な文化や歴史、また宗教や公共施設などが一斉に一般公開を行い、地域の交流と活性化を狙って市が8年前から行っているもの。

 式典は、この記念館とスティーブストン博物館が面している1番通りを通行止めにして、建物正面で行われた。また1番通りには様々なブースが出店、好天にも恵まれ多くの人で賑わった。

 地元の和太鼓グループ、テツ・タイコの演奏に続き、市長代理として司会を務めた市議会議員ビル・マクナルティ氏の挨拶で始まった式典では、在バンクーバー日本国総領事館総領事岡田誠司氏ほかの来賓が挨拶。このプロジェクトの中心的役割を担ってきたジム小嶋氏、ジム田中氏、市議会議員ハロルド・スティーブ氏の姿もあった。

 岡田総領事は、昨年の総領事館開館125周年を記念して開催されたフォーラムを通じ、漁者慈善団体が病院をはじめ、日本語学校など様々な活動を通じて日系移民に大きく貢献してきた姿が鮮明になったと語った。さらに、参加者の中にこの病院で生まれた人がどれくらいいるか尋ねたところ、10人近くから返事があり、途絶えてしまったかに見えた病院の歴史がここに存在しているような感覚に、まわりから暖かい拍手が起こった。

 テープカットのあと公開された建造物内部の展示を興味深げに見ていた、近所に住んでいるというダニエルさんは、この建物は以前から気になっていた、日系移民の歴史は詳しく知らないが、戦前の病院の話は聞いたことがある、この展示を見ると、そのいきさつがよく分かると話していた。

 

一般公開を告げるテープカットを行う(右から)岡田誠司総領事、ロレン・スライ・スティーブストン歴史協会会長、ビル・マクナルティ氏、デレック・ダン市議会議員、ジム田中氏、ハロルド・スティーブ市議会議員、ジム小嶋氏、キース・リードク・リッチモンド博物館協会理事長

 

(取材 平野直樹)

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。