2019年2月14日 第7号
台所で朝食を食べていたら、ストーブで料理中のキャサリンが「オーガスティン クラシック音楽 プリーズ」と言った。すると何だか美しい音楽が台所に広がった。しばらく、キャサリンとおしゃべりしていたら、敬子先生が台所へ来た。また、キャサリンが「オーガスティン ストップ ミュージック」とつぶやくと音楽は止んだ。今度は「オーガスティン ライト オン プリーズ」と言った。するとその辺一体の部屋と台所に電気がついた。今、老婆は、娘のニューヨーク在住の友人宅に泊まっている。そこにはキャサリンと敬子先生、そして、この老婆の3人しかいない。オーガスティンとは一体、誰なの?
「ママぁ、26日ニューヨークに行ける?」「なんでぇ?」「あのね、オバマの座った席に座ってオペラ観れるのよ。」とサンフランシスコに住む娘から電話があった。「オバマって大統領だった、あのオバマ?」「うーん、そうよ」そして、彼女の説明では、ニューヨークに住む親友のキャサリンのメトロポリタンオペラの理事(?)のお舅さんが、劇場の特等席、代々の大統領やVIPが座る「桟敷」8人用を息子の嫁(キャサリン)が友達を招待できるように予約してくれたという。そして、彼女は老婆がオペラ好きで、時々ニューヨークへ行くのを知っていた。それで「バンクーバーから来い。」と招待してくれたわけだ。誘われた日から、26日はかなり日も迫っていたが、友達一人同行も可と言われ、早速、音楽理論を長年教えて下さっている敬子先生に声をかけると同行OKだった。エアーカナダの直行便を予約、25日に2人はニューヨーク到着、26日にメトロポリタンオペラ劇場でカクテル、ランチ、そして、マチネで「カルメン」を観た。休憩時間にまたレストランへ戻り、デザートも食べた。考えてみると、この老婆、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に何回行ったことだろう。行けば、無理しても必ずできるだけ良い席を入手し、宿泊は節約、劇場から徒歩5分のYMCAやホテルに泊まっていた。一晩US120で泊まれた。しかし、シャンデリアが輝き、さらに太陽光が6階までつながる、たかーい天井から、ガラスの壁窓をとおして差し込む、この明るいダイニングがあることすら知らなかった。そこには綺麗に着飾った老若男女がいて、ゆっくりと飲み物を、食事を、会話を楽しんでいる姿が「平和」そのものに見えている。
問題の座席だが、HDでもまた劇場の普通席からも見える2階の中央席なのだが、違うのは、その席に入る前に小部屋がある。立派な制服の係員が入り口にいて、彼が一人一人のオーバーを受け取り、丁寧に掛け、次のドアを開けてくれる。そして、そこに、噂の8席があった。バンクーバーから来たというので、6人の同行者が本当にオバマの座った席に、私達2人を座らせてくれた。「カルメン」を観終わって一度、それぞれ帰宅したが、84歳と80歳の老女2人は、夜8時から始まる次のオペラ「アドリアーナ・レクヴルール」を観に、またタクシーでメトロポリタン劇場へ戻った。1日に2本のオペラを観る2人の老女。しかし、本当に充実感があった、そして「幸せー。」とつぶやいていた。
2泊3日で行ったニューヨークの宿泊場所はキャサリンのマンションだった。彼女のマンションには「マルク・シャガール」の絵や、彼女のコレクションの本物の絵が飾ってある。色々画家の名前を教えてくれたが老婆は覚えていない。彼女が心を込めてデザインしたマンションだ。入り口からエレベーターまでに2カ所制服のコンシェルジュがいる、高級ホテル並みだ。
計算機もテレビもない時代から、ずっと生きて来たこの老婆が実に驚かされたのが、キャサリンの台所で声をかけると話をし、人の言うことを聞き、音楽演奏やら、電気の点滅、時間さえ教えてくれる「オーガスティン」という名前の機械だった。
バンクーバーに戻るとすぐに、不動産税支払いやTAXリターンの仕事が老婆を待っていた。さっそく手伝いに来てくれた友人に「オーガスティン」の話をすると、何とここバンクーバーの彼女の友人も、日本語の分かる「オーガスティン」を持っていると言った。名前は違っているが、帰宅して「ただいまぁー」と声をかけると「お帰りなさーい。」と言ってくれるそうだ。
あと数年経てばバンクーバーにも、無人運転自動車が道路を走り、ロボットが老人介護をするかもしれない。この老婆、これから先、どんなにたくさんの戸惑いを、乗り越えながら生きるのだろうかねぇ。何だか、すごーくワクワクする。
許 澄子