2019年6月27日 第26号

 親の老後は、子供が面倒をみるもの。一般的にそう考える人が多いでしょう。では、子供には親に対してどこまで責任があるのでしょうか。

 「助け養う。生活の面倒をみる。生活できるように世話する」これらの意味を持つのが「扶養する」という言葉です。 親が子供の面倒をみる場合のことがすぐに思い浮かびます。つまり、親が子供を育てるにあたり、実子、養子を問わず、子供が経済的に自立できるまで育てる親の義務が、「扶養義務」です。「未成年」には限らず、経済的に自立できていない子を「未成熟子」とする概念に基づきます。例えば、成人年齢に達していても、学校に在学中、または、何らかの障がいがあるため、経済的に自立できていなければ、「未成熟子」として親には「扶養義務」があります。また、「扶養義務」は、婚姻中の夫婦間にもあり、配偶者としてお互いに扶養しあう義務があります。通常、収入の多い配偶者が収入の少ない、あるいは収入のない配偶者を扶養する義務があります。

 日本の民法877条に、「直系血族および兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」という条項があります。「直系血族」とは、「三等親以内の親族で、自分または配偶者の三世を隔てる者で、父母、祖父母、曾祖父母、あるいは、子や孫、ひ孫などの親族」のことです。この規定が、「自分(成人)の親および兄弟姉妹に対する扶養義務」の根拠規定になります。ただし、「扶養義務のある者が、自分の社会的地位や収入などに見合った生活をした上で、余力のある範囲で、生活に困窮する親族を扶養する義務」とされています。自分の生活を犠牲にしてまで面倒をみるということではなく、自分の生活に困窮していて余力がない場合は、「扶養義務」は課せられません。

 この「扶養義務」は、親族関係を法的になくすことができないことから、家族間で過去にどのような経緯があったとしても、法的には放棄することができません。親としての養育の義務を怠る育児放棄、人格を否定するような言葉による精神的虐待、殴る蹴るの暴力による身体的虐待、強制的なみだらな行為による性的虐待。過去に親からどんなに酷い仕打ちを受けたとしても、子供には親を扶養する義務がつきまといます。その親が世間で言う「毒親」であっても、法律上、面倒をみなければならないのです。

 考えてみてください。辛い子供時代を送った後、結婚して自分の家庭を持ち、やっと親から逃げ出せたと思った矢先、介護のため同居。在宅介護せざるを得ない状況に追い込まれ、それまで築いてきた円満な家庭は、同居が始まりギクシャクし始め、昔と同様、人前ではいい親を演じるものの、ふたりになると昔のように「毒親」に豹変し、事ある毎に口汚く罵り、時には手や足が出る。そんなことが起きないという保証はありません。あるいは、子供の頃に受けた親からの虐待によるトラウマから、「心的外傷後ストレス障害/PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)」と診断され、現在も治療中かもしれません。幼い頃のトラウマから心を病み、専門家による治療を受け、症状が落ち着いていた人が再び親と接することで、過去の辛い思い出が蘇り、新たなトラウマになる可能性もあります。そのような状態で、親の介護をしろと言うほうが無理です。

 それでも周囲は親の介護を期待します。その期待を裏切ることもできず、「親孝行な子」を演じますが、ストレスは溜まる一方です。 なぜ、自分を不幸にした親を介護しなければならないのか。どんな気持ちで介護すればいいのか。日々の介護に直接関わる気持ちにはなれません。

 親を介護施設に入所させている家族はたくさんあります。家族をほとんど訪問しない家もあるでしょう。その理由は様々でしょうが、辛い過去の経験から、それ以外の方法がないのかもしれません。「介護は在宅で行うべき」という考えがあっても、憶測で安易に批判するのは禁物です。

 


ガーリック康子 プロフィール

本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。