2017年7月6日 第27号
母が亡くなってから、早くも3年が過ぎました。母は、しばらく入院していた病院で、家族に看取られることなく、息を引き取りました。容体が急変したという連絡を受けた家族も、死に目には会えませんでした。
私が一時帰国している間に、入院し、衰弱が続き、今夜が峠と言われるまで容体が悪くなりました。延命処置をしない選択をすれば、峠を越すことなく亡くなっていたと思います。亡くなることを待っていたように聞こえてしまいますが、十分に頑張った母の最後を看取ることができるかもしれない、という一縷の望みがありました。その後、延命措置により容体が持ち直し、小康状態を保っていました。そのままの状態がどのくらい続くか全く予想がつかない中、延長していた滞在期間をそれ以上伸ばせず、次に一時帰国するのは葬儀のためとわかっていて、後ろ髪を引かれる思いで、カナダに戻ってきました。 母は、それから4カ月ほどして亡くなりました。
最初に日本を離れた時から、親の死に目には会えないかもしれないとは思っていました。その後、結婚し、日本に住む可能性が少なくなった時に、覚悟はできていたつもりでした。しかし、実際に、その場に立ち会うことはできないことが、これほどまで心残りになるとは思ってもみませんでした。終末期の延命措置についても、今も心の蟠まりは消えません。本人が、自分の希望を明らかにしないままだったことが大きな原因ではありますが、家族で話し合う機会がなかったことも、後悔が残る理由です。家族が選んだ選択肢が、本人の希望や意思に合ったものだったのか、本人のためと選んだ選択肢が、実は家族の希望や感情に基づいたものではなかったのか。答えてくれる人のいない疑問は、疑問のまま残ります。自分が同じような状況になった時、自分を代弁してくれる人たちが、本当に自分の希望を叶えてくれるのか。そんな新しい疑問も湧いてきます。
「終活」という言葉が使われ始めると同時に、「リビングウィル」についても知られるようになりました。自分がいなくなった後のことを準備する「遺言書」より、残された時間を生き、最後を迎えるまでのことを準備する「リビングウィル」が、どれほど重要なのかを、身を持って体験しました。延命措置に限らず、死後の臓器提供や、埋葬や葬儀の方法など、自分に判断能力があるうちに、生きているうちに決めておくべきことはたくさんあります。自分で決めておくことで、家族への負担がどれほど軽くなることか… 。
自分の意思に基づいた判断ができなくなっても、自分の生き方を貫くためには、誰かに自分の希望や意思を伝えておく必要があるはずです。心肺が停止し、脳死に至った後、心も体も痛みを感じなくなるのであれば、生きている今のことを考えた時、生身の人間ではなくなった後のことは、それほど重要なことではないのかもしれません。こんな考えは、極端すぎるでしょうか。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定