2017年9月21日 第38号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

 蘭子がステイシーに口を合わせた。

「け、警察はね、警察は、あのエドモンズとかいうアニマルは闇の堕胎医者をやってて、クライアントの女を犯したことがあるんですって。多くの妊娠した女が犠牲になったんですって。…ウウウ…ウウウ…」

 なんとエドモンズという男は、かつてはびこった闇の中絶医を装ったことがあるという。堕胎禁止令をいいことに、にわか医師を装って女の身体を弄んだというのであった。

「ウウウ…ウウウ…」

 ジャックも顔をくしゃくしゃにして泣いている。

「ジェニファーはいい娘だった。いいクリスチャンだった。結婚前にそんなふしだらなことをする子じゃあなかった。妊娠なんて妊娠なんて…そんな馬鹿な…ウウウ」

「そうね、ジェニファーは妊娠なんかしてなかったわよ。妊娠なんか。ただ警察は、そういう犠牲者もいたって言ってるだけよ。犠牲者の中に妊娠していた人が何人かいたのよ。ジェニファーは妊娠なんかしてなかったわよ。…ウウウ」

 蘭子もともに泣いた。ジェニファーの妊娠を否定し、懸命に口を合わせることが自分にできるたった一つのことと思えた。

 

― エピローグ ―

 いつの間にか輝昭の帰宅する時刻になっている。

 蘭子が腰を上げた。蘭子の目も真っ赤に腫れ上がっている。

「ジェニファーは死んでしまったかもしれないけど、安らかに眠っているわ。天国のもっときれいなところでお二人を見守っているわ」

「ありがとうランコ」

 ステイシーも立ち上がって蘭子をドアのところまで送ってきた。

 蘭子が訊いた。

「ジェニファーはいくつだったの」

「二十一よ…ウウウ」

 ふたたびステイシーが泣き出した。

「ジェニファーは一月生まれだからたった二十一年と数ヶ月で死んでしまったのよ」

「一月?」

 蘭子の頭に、二十四時間前にリリアンと口にした「January(一月)」がある。

「一月の何日なの?」

「一月九日よ」

「こ・こ・の・か」

 蘭子は自分の身体が高い滝の上から真っ逆さまに落ちるのが感じられた。

一月九日。一月九日…

 ああ、二十一だったということは輝昭より一つ若い1964年生まれに違いない。

 輝昭は間違いなくジェニファーと恋愛関係にあった。刺青の191964は欧米式の日付けに間違いなく、それがジェニファーの誕生日と分かったのだ。輝昭は自らの腕にジェニファーの誕生日を彫って、とわの証としたのだ。

「またあとで来るわ」

 蘭子は別れを言うと懸命に足を動かして芝生の上を歩いた。

「ああ」

 悲鳴のような吐息が漏れた。

 妊娠、堕胎、中絶クリニックという言葉とともに二十年前の輝昭の変身ぶりが思われた。輝昭は理由らしい理由もなくバンクーバーからトロントに移り、ジェニファーの実家の隣りに住み出した。そして腕に妊娠させてしまったジェニファーの誕生日を彫ると中絶クリニックを始めて懺悔の人生を始めたのだ。自らをパイプカットして子を生めない人間に罰し、薄幸な女を嫁にして三人の孤児を養子にしたのだ。

 蘭子は庭の真ん中まで来て立ち止まった。西の空を見た。二十年前に起こったすべての筋書きが蘭子の頭に浮かび上がってきた。

 ジェニファーと恋人関係にあった輝昭は、ジェニファーが妊娠してパニックになった。それぞれまだ二十二歳と二十一歳の学生の身でしかなく、子を生むわけにはいかなかった。

 二人は闇の裏通りに中絶医を探した。見つかったのがエドモンズであった。

 中絶医を装ったエドモンズは、手術後、患者は一晩安静にしなければならないと言って輝昭だけを帰した。ジェニファーの身柄だけを引き取ったのだ。翌朝、輝昭がエドモンズのところに行くとジェニファーが死んでいた。ジェニファーは特異体質で手術が複雑化し、失敗したとエドモンズが言った。

 輝昭は猛然とエドモンズに食いかかった。しかし不法に行われた闇中の手術になんの保証もなかった。

 輝昭は変わり果てたジェニファーの身体を前に泣きじゃくった。どうしていいか迷った。輝昭が日本からの留学生であることを知ったエドモンズが、遺体はこちらで始末するからすべてを忘れろと言った。若い輝昭はこのエドモンズの提案を呑んでしまったのであった。

 蘭子が家に近づいた。歯を食いしばって涙をこらえた。ジョージエットが家から出てきた。蘭子の表情にただならぬものを嗅ぎ取ったのだろう「グランマ(おばあちゃん)」と蘭子の手をとった。蘭子がしゃがみこんでジョージエットを抱きしめた。

「ジョージエット」

 蘭子は愛そうと思った。クリスティーンという嫁と三人の孫を愛しぬこうと思った。

 蘭子がジョージエットの手を引いてキッチンに行った。「ただいま」という輝昭の声が表口の方から聞こえてきた。

(終)

 

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