2019年8月1日 第31号
約10年前のことだ。医師がどんどん大きな町に流れ、地方に残った医師は多忙のために疲弊し、ますます医師不足が進行していた。「何か自分でできることはないか」。阿形操さん(現在71歳)は思いを巡らせていた。
医師の地方離れに
阿形さんは静岡県御前崎市で生まれ育ち、御前崎市役所に勤め、保健・福祉・医療の分野を担当していた。
地方の医療に大きな打撃を与えたのは、2004年の医師の研修制度の改変だった。それまで新人医師は、自分が医学を学んだ大学の病院医局に属して研修を行うのが通例で、地方にも新人医師の供給が続いていた。しかし改変後はその枠が取り払われ、研修中の待遇や研修内容の魅力的な都会の病院への新人医師の集中が起こった。それからというもの市立御前崎総合病院では日に日に医師の数が減っていった。残った医師たちが必死で仕事をしても、24時間365日の診療体制は維持できず、市民から不満の声が上がった。やりがいが感じられない医師たちの地方離れに歯止めが掛からない。病院で事務を担当し、状況を目の当たりにしていた阿形さんに危機感が募っていた。
定年後1年で寂しさ
阿形さんが市役所を2008年に60歳で定年退職した直後は、夫婦で中央ヨーロッパへ旅行に出かけたり、野菜を育てたり、陶芸を習ったりとリタイヤ生活をエンジョイした。だが、かつての職場の人との付き合いはなくなり、習い事も地域との交流にはつながらず、次第に社会とのつながりがないことに寂しさを感じ始める。退職翌年、その寂しさを埋めるように民生委員の任命を受けた。役目は高齢者家庭の訪問や通学する子どもたちの見守りなどだ。
それから4年後、今度は市から「地域医療を助ける市民団体を作ってほしい」と頼まれた。その時、阿形さんは思った。「自分は人をまとめるようなタイプじゃない。だがこれを断ったら後々後悔する」。そして抱いていた地方の医療体制への危機感にまっすぐ向き合うと覚悟を決めた。
「御前崎地域医療を育む会」創設
発起人8人で「御前崎市地域医療を育む会」を立ち上げ、地域の医師たちが長く勤めてもらえる環境作りを目指した。そのために行ったのが市民に「かかりつけ医」を持ってもらい、「コンビニ受診」をやめることを主眼とした講習会だ。「コンビニ受診」とは、緊急性なく自己都合で休日や深夜に病院を訪れて受診することを指している。活動7年目を迎えた現在「育む会」の会員は300人に迫り、年に10回以上のイベントを行うまでになった。
自分の幅が広がって
「リーダーのタイプではない」と自認していた阿形さんだったが、「育む会」の代表として、また民生委員としても挨拶をする機会が増えた。次第にそれは苦にはならなくなったという。「これもひとつの慣れかなと思うたね。『最初の挨拶をせにゃいかん』となってやっていくうち、得意でなかったことも慣れてきて」。
また大勢の人との交わりが活動の大きな魅力になっている。「生活していてすごく楽しい。知っている人がいて話ができて。仕事をやっている時は、仕事に没頭していて、家と仕事との往復だけで社会が狭かった。社交できるところがなかったね」。
手応えを感じた出来事
「大橋先生のおかげで病院が支えられていると思っています、先生の使命感はとても素晴らしいです。体に気を付けて頑張ってください」など、「育む会」では患者から集めた感謝の言葉を医療者へ手渡している。
2018年の「育む会」の総会でのことだ。市立病院の病院長が挨拶で「3年前の集まりで『育む会』から受け取った感謝のメッセージが、当時の大変な状況から立ち上がる力になった」と涙ぐみながら語った。ギリギリのところに立たされている人にとって感謝の言葉は伝える者が想像する以上の力を生む。そしてその病院長の言葉が「(会の活動を)やっていてよかった」と阿形さんを励ました。そんな好循環が生まれている。
自分にとって大事なこと
小さい頃は内向的だった阿形さん。妹が二人、親戚も女性が多い中でかわいがられ、同級生や先生にも世話されながら大きくなった。その阿形さんが現在は「育む会」のほかにも社会福祉協議会や特養法人の評議員、保育園や寺院の理事など、いくつもの役割を担っている。阿形さんをよく知る人物は、地域の多くの人々が寄せる阿形さんへの厚い信頼を感じているという。
阿形さんは思う。「今思うとこういう仕事やっていて恩返し言うのになるんかな。人のことをお世話できることが自分にとって大事なこと。家族もひとつだけど、社会のためにもひとつと思って」。筆者からの「人生でやりきりたいことは?」との問いには「将来『育む会』に若い人が入って受け継いでくれたら」と答えた。
御前崎市にある静岡県最南端の岬からは地球が丸く見える。その地に生きる阿形さんの周りにも、円く温かい輪が着実に広がっている。
(取材 平野香利)