2019年7月4日 第27号
キャンバス一面に描かれたパッションピンクの芙蓉の花。鮮やかな花びらの上の澄み切った水滴は、今にもこぼれ落ちそうだ。「音楽で言うところの『セオリー』がわかっていれば、水を描き出すのはそう難しくないんですよ」と高橋たまきさん(70代・ブリティッシュコロンビア州バーナビー市在住)。
自作の風景画、そして物腰の柔らかさから、ゆっくりと自然を見つめてきたたまきさんの姿が浮かんでくる。「自然観察と言えば、子どもの頃から、ヤゴの脱皮の様子や、メダカの孵化をよく観ていました」。好きな画家はルノアール。手が不自由になりながらも、亡くなる間際まで絵を描いていた姿勢がいいという。絵画作品を鑑賞するときの観点を聞くと「その絵の中心はどこにあるか」だと教えてくれた。
身体と心のケアを日課に
絵画や俳句作りを楽しむたまきさんの一日は、寝床でゆっくりとストレッチをすることから始まる。日に2度は足湯につかり、足裏の反射区を丁寧にマッサージ。納豆と梅ぼしを取り入れた夕食を、胃腸に負担がかからないよう夜6時までに済ませ、就寝前の数分間は祈りと瞑想に当てる。幼い頃、祖父が読経をしていた姿に自然と自分を重ねているようだ。そうしていると一日の中で何とはなしに生じる不快な思いも消えていく。また、日頃ネガティブなことは言わず、「いい言葉」を話すように意識している。「こうした日課のおかげで最近は疲れにくくなりました」。
本質を見る習慣
ストレスになる車の運転はやめて、移動にバスを使うようになった。車中、隣席の人と会話になると、たいてい「あなたの国(日本)はいい国ね」と言われる。相手は日本のことを少なからず知っているが、自分はどうだろうか。そこから台湾なら台湾、メキシコならメキシコと、相手の国を調べることが増えてきた。調べる学ぶといえば、「いつ夫の仕事がなくなっても困らないように」と始めたインテリアデコレーションの資格の勉強をはじめ、洋裁、シーフード料理など、衣食住のそれぞれに一歩踏み込んで学んだ経験がある。絵を描くことと同様に、対象をじっくりと見つめ、本質をつかむまで取り組むたまきさんの習慣が、「辛かった時期は思いつかない」と感じる安定した暮らしぶりにつながっているように著者には思える。
絵本作りの構想
たまきさんには目下構想中のことがある。自身が世話になった幼稚園の先生に感謝を込めて『小鳥とわたし』と題した絵本を作って贈ることだ。飼っていた瑠璃色のセキセイインコ「ルリちゃん」との思い出は数えきれない。最期は息絶え絶えの中、力を振り絞ってたまきさんの手の平に飛んできたルリちゃんを両手の中で看取ることができた。ちなみに愛らしい小鳥と触れ合いながら大きくなった一人娘が、今では鳥の研究者として世界を飛び回っている。
たまきさんがこうした各種の活動に向ける原動力は、自分の達成感や満足感のためだというが、そこには母への思いもある。
幼稚園の先生の言葉から
生まれは岡山県倉敷市、育ったのは広島、そして東京で進学したたまきさんに「広い世界を見るように」と海外行きを勧めたのは母だった。
子供時代、母から「こうしなさい、これしちゃだめ」とあれこれ言われた記憶はない。その背景にあったのが幼稚園の先生の存在だ。先生は10年以上の幼稚園教諭の経験を積んだ後に小さな幼稚園を開いた。そこへ入園した3歳のたまきさんを「こんないい子は初めて」と言って褒めたという。以来、母が幼いたまきさんに一目置いて接するようになったことを、実家で母の遺品の中にあった育児日記を読んで知った。母はその後も先生と年賀状のやり取りを続けていたようだ。日記を読んだ後、たまきさんに懐かしさがこみ上げて、すぐにその幼稚園を探して訪ねていったところ、幼稚園は大きく立派な建物に様変わりしていた。そしてかつての先生の娘が園長になっており「たまきさんのことは母からよく聞いていました」と話してくれた。
母の願いを知って
数年前に母は他界したが、その臨終の2週間前に駆けつけた時、母は「百万の味方が来てくれた」と喜び、そしてお願いがあると言った。「あなたに一緒の墓に入ってほしい」と。さらに「そのお願いの代わりに私のできることは何?」と聞く母に、たまきさんは「お母さんが迎えにきてね」と言った。
大事なことを語り合えた最期の時間、そして母が繰り返し言った「兄弟仲良くしてね」というメッセージはありがたい置き土産となった。そんな母に対して、たまきさんは毎晩の祈りの中で「今日はこんなことをしたよ」「元気だよ」と報告する。そして「母にあの世で再会し、『あなた何してたの?』と聞かれた時に、ちゃんと胸を張って答えられるように」という思いが、毎日を精一杯生きることにつながっている。
(取材 平野香利)