2019年1月24日 第4号
アイスホッケーのコーチとして中国・北京に滞在していたブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアのジャスティン・アイザックさん(28歳)は、昨年12月に交通事故に遭った際に身も凍る体験をしたと、帰国後取材に語っている。
同州バンクーバー島南部の都市シドニーのジュニア・ホッケーチーム、ペニンシュラ・パンサーズの元選手かつアシスタント・コーチだったアイザックさんは昨年2月、北京凱文学校(Kaiwen Sports Academy)の若い生徒らにアイスホッケーを教えるため、北京に赴いた。
しかし先月6日、北京市内で横断歩道を渡っていた時に車にはねられた。体のあちこちに打ち身や擦り傷を負ったアイザックさんはさらに、片足を骨折。骨は皮膚を突き破り激しく出血していた。しかし通行人は見て見ぬふり、誰も手を差し出そうとはしなかったし、道路は相変わらず車が往来し続けていた。
しばらくしてオーストラリア人など何人かの旅行者がアイザックさんを歩道に移動させ、救急車を呼んだ。しかしその到着に90分近くかかり、また救急隊員はアイザックさんを助けようとはせず、まずパスポートの提示と支払いを要求するばかりだった。結局アイザックさんは友人の携帯電話で勤務先に電話、救急隊員と話をつけてもらうしかなかった。
最初の手術後、目が覚めると警察官が病室内で待機しており、この事故ではアイザックさんに50パーセントの過失があることを認める必要があると申し渡した。同じころ、アイザックさんの地元ビクトリア市では、友人が中心となり彼の帰国費用を捻出するためのオンライン寄付活動が始まった。また、この件は地元メディアも取り上げ、氷点下の中で負傷したまま90分以上も放置されたほか、中国警察がアイザックさんの雇用主に対し、アイザックさんの事故に関する供述の改ざんを要求していたことを明らかにした。その理由は、アイザックさんの供述どおりでは、中国の印象が悪くなるからというものだった。
一方、北京の病院でこの状況に孤立無援の状態で立ち向かっていたアイザックさんは、とにかく言われるまま供述を変更していた。そうする以外、中国から出国するすべがなかったからだ。彼は自分が50パーセントの過失を認めるとした供述書を病室で雇用主に見せ、これで中国から出られるかと問いただしたものの、明確な答えは得られなかった。
雇用主の態度も、手のひらを返すように豹変した。事故以前はアイザックさんを夕食に招待したり観光ツアーを用意したりと、よく面倒を見てくれていた。しかし病院では、彼らが払った朝食代を、自分が払い戻すことを確約する念書に署名させられた。
今まで国外に出たことのなかったアイザックさんの母親も、北京に飛んだ。空港から直接病室に向かった母親は、そこにいた2日間は人生最悪の経験だったと、帰国後メディアに語っている。彼らは中国から出国できないかもしれないと、脅された。
最終的にはアイザックさんの雇用主が病室を訪れ、出国が可能になったと告げた。彼らは先月17日、中国を後にした。その翌日、アイザックさんは2度目の手術を受けた。窮地に置かれながらも、威厳と忍耐をもって自力で切り抜けた息子を誇りに思うと、アイザックさんの母親は目に涙を浮かべながら取材に応じていた。