六月なかばを過ぎるころから庭のサクランボが真っ赤に色づき、いよいよそれを狙ってカラス、ツグミをはじめとする鳥たちが偵察に訪れる。時には日本のヒワのような小鳥の群れが一陣の風のように飛んできて、賑やかに大騒ぎして、又いずこへともなく去ってゆく。皆サクランボが食べごろになるのを今や遅しと待っているのがわかる。

六月末。ほぼ毎年同じ時期にサクランボは赤から赤紫に色が変わる。酸味が少なくなり甘みが増し、朝日をあびてルビーのように輝くようになると、いよいよ粒も大きくなり鳥と人間との奪取合戦の始まりである。さして大きな桜でもないのに、サクランボの数たるや、およそ8000粒。根元に肥料を施し丹精こめて実らせた宝石をそう簡単に鳥に持ってゆかれるのは何としても忍びない。

二軒トナリの通称ゾロの家では、二年前桜の樹にネットを丸ごとかぶせてサクランボを守ろうとしたが、結果をきいたら「NOT WORK!」ダメらしい。されば・・・と今年我家はビジュアル&オーデイオ作戦に出た。むずかしい装置ではない。桜の樹に登ってテッペンに長い棒を立て、オレンジ色のビニールの大きなササラを附けた。更に、その棒に小石を入れたビールの缶を二つ取り付ける。棒から長く伸ばしたヒモは裏庭を一望できるキッチンの窓までひかれている。

この派手なササラのカタマリを見た鳥たちは、サクランボがまさしく食べ頃であるにもかかわらず二、三日は寄ってこなかった。おどろおどろしたオレンジ色のササラが樹の頂で風になびく様をみれば「何だあれは 」となったのは当然である。

こんな仕掛けをつくるのに半日かかってしまった。その効果に開発者は満足して、のんびり昼寝などしていたが、四日目あたりから鳥達に看破されてしまった。「何するものぞ!」とばかりお客さんが押しよせる。朝は薄明るくなる頃からカラスの群れがまるでヤクザの軍団のように飛んでくる。見ていると腹一杯食べた上にお土産まで持って帰る奴もいる。そんな時はすかさず誰かがキッチンへ走っていって桜の樹に伸びたヒモをギュンギュンと力を込めて引っぱる。オレンジ色のササラが踊るように動き、石が入ったビールの空缶がガランガランと音を立てる。これにはさすがのカラスも驚いて一目散に散ってゆく。 「ああ忙しい!」と云いながらヒモを引くこと一日に30回。とても絵なんか描いていられない。しまいには引っぱり過ぎたヒモが切れて用をなさなくなった。やむなく大勢のお客さんが来た時はゾウリをつっかけて庭に飛びだし「オンドリャー!」などと叫びながら桜の樹に突進し、途中でゾウリの鼻緒が切れて転んだりする。

七月のはじめ衆議一決。ようやくサクランボの収穫となる。多分アメリカンチェリー種と思われるこの実は目尻が下るほどのおいしさである。長い棒の先に釘を二本打ちつけ、その釘にサクランボの房を挟んでひねって採る。上を見上げながらのこの作業は決して楽ではない。時々アゴがつって元に戻らなくなり、上を向いたまま人と話をしたりする。頑張って採っても上部三分の一は残ったまま。とても棒が届かない。その段階になると急に人間が鷹揚になり、「君達もよかったら食べたまえ・・・」とばかり、鳥に残りを譲る。追い払い作戦で精魂つき果てたのである。

採れたサクランボはとても食べきれないので近くの知り合いに届ける。元タグボートの船長だった野菜造りの名人レイモンドに持っていったら、お返しに自家製ワインとじゃが芋を頂いた。隣家の奥さんデリアに電話をして、サクランボを外で手渡そうと思ったら旦那のウオルターが出てきた。デリアはサクランボが好きなのにどうしたんだろう。

そういえばこの頃みかけないと思っていたら二週間前に子供のように可愛がっていたアラスカンマラミュート種の二才になるAceyと云うメス犬が腹部にできた癌のためになくなり、その悲しみで毎日泣いて暮らしているとのこと。

この人達には子供がなく、飼っていた母犬が生んだAceyを自分の娘同然のように可愛がっていた。子犬と云っても、もう母犬よりも大きくなり、腕も人間の腕よりも太く、一見ミッキーマウスのような顔をした犬だった。モコモコしたグレーの毛並みが愛らしく飼主が留守の時はその帰りを待ちわびて泣いていたのを思いだす。北米の犬の品評会で何度も優勝した犬だった。獣医は手術をすれば1万1000ドルかかるが治るかどうか保障できない・・・と云ったそうだ。何と云ってなぐさめたら良いのか我家も途方に暮れたが、思いついて私がこの犬の絵を描くことにした。その絵を描きだした時、奥さんのデリアから「サクランボありがとう」のデンワがかかってきた。しかし涙声でとても聴きとれる英語ではなく、この人の心情を思んばかると私も辛くなって筆を持ったままポロポロと涙がこぼれ落ちるのだった。

数日後できあがった絵は、星空でAceyがいつも遊んでもらっていた大きなボールとたわむれている絵だった。絵の下に書き添えたことばは「あなたは今一つの星になった。雨が降ったらそれはあなたの涙だと思っている。淋しくなったら又いつでも戻っておいで。皆待ってるから・・・」 出来上った絵を隣家の門のところでデリアに手渡した。彼女の目は真っ赤に腫れ上り、もう子犬が亡くなって二週間も経つと云うのに、まだ泣き暮らしているらしい。私の絵を袋から取り出したデリアは、再びその場で声をあげて泣きだした。生前の元気な頃の子犬を又想いださせることになってしまった。今年はサンシャインコーストは7月になっても天気がすぐれず雨ばかり。Aceyが早く泣き止むのを待っている。動物の死は言葉を喋らないだけにこれ以上不憫に思うことはない。主人の帰りを待って泣くこの子犬の声が夜中にフト聴こえたような気がして時々目を覚ます。毎年サクランボの季節になって、この子犬のことを想いだすのがつらい。

我家から400メートル程離れたところに、ひときわ高くそびえる枯松がある。高さはおよそ40メートル。上から10メートルほど下ったところに白頭ワシの巣があり、枝にとまっている親鳥をよく見かける。羽根を拡げると2メートルを越す北米を象徴するこの鳥にしばらく前にヒナが生まれた。通常白頭ワシは一度に一羽のヒナを孵すそうだが、三羽のヒナが巣から出て飛び立つ日を待っている。Aceyの悲しいニュースのあとの明るい話題に内心ホッとする。世の中はうれしいことと悲しいことが半分半分なのだろうか。

 

2007年3月8日号(#10)にて掲載

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。