私がカナダ西海岸サンシャインコーストのペンダーハーバーに移り住んだのは2003年(平成15年)の2月だった。

15年間住み慣れたバンクーバーを引き払って、「陸の弧島」等と陰口を云う人もいる不便なこの土地に引越したのは、バンクーバーではもはや探すことが難し くなってきた極めて人の手が入っていない自然の濃厚な姿を絵に描きたかったから。そしてもう一つ、敢えてそんな場所に身を置くことによって多分生じる筈の 日常生活の上でのある種の「緊張感」を味わいたかったからだった。

予想通りわずかバンクーバーから北西に ・程離れただけなのに、フェリーでノースバンクーバーを離れ 分掛ってラングデールに着く頃から、バンクーバーでは感じられなかった不思議な寂寥感のようなものを見えない霧のように身体に感じてくる。

フェリーの着くラングデールからハイウェイ101を走って、サンシャインコーストでは、比較的日系人も多いシーシェルトを過ぎ、ほぼ一時間の左側に海を見 るドライブで私の住むペンダーハーバーに着く。 その頃には道添いの人家はほとんどまばらになり、良くこんな所まで道を作ったもんだと感心するような、くねくね道となり、ペンダーハーバーに着く直前には 「これでもか!」と云わんばかりの曲りくねった道の連続だ。まるで、本当にお前さんここに住めるのか・・・と試されているような気分になる。ペンダーハー バー地区約8キロ四方に住む日系人はわずか数人。

住む家が決まらないままにバンクーバーを離れることになったので二軒の借家住まいを経験することになり、最初の一軒は入り組んだペンダーハーバー港の一角にある小さな港の狭いコテージだった。 二月の雪が降った寒い晩、この狭いコテージで今迄感じたことのない静寂を味わっていた。唯でさえ音のない世界で、更に降り積る雪が心細い程の真夜中。私達家族三人は、この地で最初の猛烈な緊張感に襲われることになった。

全員が深夜二時に飛び起きた。私達が寝ているコテージの屋根の上を、何者かが飛びはねている音がする。かと思うと屋根の端の方から一方の端にかけて、かな りのスピードで走る音は、並大抵の体重ではないことを察するのに充分だった。一向に止む気配のないこの音を聴きながら、三人の家族は窓からの雪明りの中 で、ジッと息をひそめ、目で対策を相談した。クーガーや熊の被害を聴かされたばかりの私達はそのどちらかであることを疑わなかった。暗闇の中での相談の結 果、うるさくて寝られないよりは思い切ってその音の相手を撃退しようと云うことになり、遂に私が身近にある棒を持って、その任に当たることになった。

悲壮感が嫌でも漂った。同時に長かったような短かったような己の生涯が頭をよぎった。 「まだ死にたくない、もう少し生きたい」と思った。 防寒具で身支度をし、家族を守る責任感に身震いしながら、戸口に立った私は懐中電灯を握りしめて、一気にドアを開けた。流れ込むマイナス4度の寒気! す ばやく一面の銀世界に転がるように飛び出した私は、吉良邸に討ち入った浪士の如く身を低くして屋根を見上げた。「何もいない!」降り積った雪以外に何も見 えない。あの音は一体・・・と思った時、屋根に覆いかぶさった巨大な杉の木から大きな雪の固まりがドドッと落ちてくるのを見た。戦士はうしろに飛びすさっ た。

雪は止んで天空に青白く光る三日月がかかっていた。 「正体見たり雪の音・・・」 足はガクガクだったが急に元気が出た戦士は俄かに焼酎のお湯割りが恋しくなり、東の空が明るくなる迄飲み続けるのだった。

そんなペンダーハーバーの始まりを懐しく思い出しながら私はこの地の二年目の夏の忙しさに追われている。自給自足の真似ごとのような畑には、それでも沢山 の日本野菜が日に日に勢いを増し、それを横取りするために訪れる野生動物を追い払うのにやっきになっている。黒沢映画「七人の侍」の百姓の気持が痛い程わ かる2004年の夏。

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