「ひろしま」を撮るということ
写真展には石内さんの作品48点が展示されている。2007年に撮影のため初めて広島を訪れて以来、毎年撮影している中から、今回の展示会のために用意されたもので、今年3月に撮影した作品7点も含まれている。
「ひろしま」を発表するきっかけは書籍編集者からの依頼だった。「撮り尽くされた『広島』というテーマを今さら私がと返事をためらった」という。それでも最終的に決断したのは広島を見てみたいと思ったこと、広島に行けば私なりの写真が撮れるかもと思ったからだった。
実際に原爆ドームを初めて見た時、「こんなに小さくて、こんなにかわいいんだって思いました。すっごい健気に立っている感じで」。この時、「特別なことをする必要はない。これまで通り、自分のやり方で向き合えばいい」と思った。
被写体は広島平和記念資料館に保存されている品々。その多くは遺品だが、持ち主本人が寄贈したものも含まれる。資料館では展示されていない品々を、そっと取り出して撮影する。被写体には、ワンピースだったり、靴下だったり、誰かが着たもの、身に着けたもの、使ったものを選ぶ。
「撮影をしている時は、ワンピースと対話しているみたいな感じなんです。元気?とか、こんにちはとか。すると向こうも語りかけてくるんですよね。それは私がそういう風に思っているからだと思うんですけど、私にとっては単なる被写体じゃないんです。非常に存在感があって、私と対等でいてくれているそういう存在です」
トーテムポールに囲まれて
最初は博物館での「ひろしま」写真展ということがイメージできなかったという。今年8月に一度当地を訪れた。「トーテムポールを見て感動しました。私のイメージと全く違っていて、魂の塊みたいに感じました。それで、カナダの土地の歴史みたいなものと、私の『ひろしま』という組み合わせは、そんなにおかしくないなっと初めて来たとき感じました」
よく見るとトーテムポールも原爆ドームと似ているという。倒れないように、後ろを鉄棒で支えられている、そんなトーテムポールの姿が、内部を縦横無尽に張り巡らされた鉄棒で支えられながら、辛うじて立っている原爆ドームの健気さと重なって見えた。「トーテムポールも基本的に腐って倒れるのが、ファーストネーションズの人たちの、地球に返るという思い。それが、鉄骨で支えられて健気な姿をここで見せている。原爆ドームも同じ。ほんとは倒れてもいいのに、みんなに見られて一生懸命立っている感じ」
どちらも人々の願いが大きいだけに、余計にその姿が痛々しい。広島を固定されたイメージから解放してあげたい。そう強く思ったと振り返った。
美しいから撮る
石内さんの作品に、一般的にイメージする被爆の悲惨さはない。美しいとさえ思わせる。それは、彼女が被写体を美しいものとして捉えているからに他ならない。もちろん、作品は演出されたものだ。特注のライトテーブルを東京から持ち込み、ワンピースの柄やスカートの色が美しく見えるように形を整えて撮影する。
「ある種の演出ですよね。でも、私の作品として美しいということは、私の美しいという思いがそこにあるからです。だから私にとってみれば、美しいと思うものを普通に撮っているだけなんです」
見つめていれば物語が透けて語りかけてくるような作品群は、これまでの広島写真展のイメージを一掃する。「私はきれいなものしか撮らないから」と笑う。もちろん、被爆を美しいと表現することに批判をする人もいるだろう。しかし、そうした固定概念から広島を開放することが「ひろしま」の意味でもある。
3月20日に広島で撮影していて思ったこと
今年も広島で撮影した。くしくも3月、あの大惨事の真っただ中だった。広島にいて福島は遠いところでの出来事に感じた。東京では地震や津波の影響が直接的にいろいろな形であったが、広島ではそういうことは少なかった。
「この距離感があることをきちんと認識しなければいけないと思いました。人の傷は絶対分からないんだっていうことを、私はとても認識して(東京に)帰ってきました。分からないってことをちゃんと意識しなければいけない。中途半端に分かるなんてことはあり得ない」
それは東京にとって広島が遠い存在であることをも意味する。「だから広島(の原爆のこと)にしても、私は関東だから、遠い事件だったんです」
この距離感を乗り越えることができるのがアートだと語る。「私は過去は撮れない」。自分が生きている時間と空間に対面している現在を撮る。しかしそれは66年前に被爆したという過去からのつながりであり、歴史でもある。ただ、歴史の重さが重要なのではない。「今、彼らが、私と同じ時間、同じ空間にいるということが私は大きいと思う」。だから彼らの今を撮る。今、彼らが語りかけてくる言葉を撮り続ける。
「ひろしま」が海外で開催されたのはバンクーバーが初めて。「北米に上陸したなって感じ」と笑った石内さん。今後は、ニューヨーク近代美術館やワシントンDCのナショナル・ギャラリーでも、やってみたいという希望がある。固定観念から解放された「ひろしま」を世界に発信していく。ここがその第一歩となった。
石内さんにとって広島は第2の故郷みたいな存在になったという。今後も、広島での撮影はライフワークとして続けていくと語った。
石内都写真展「ひろしま」(後援:資生堂、国際交流基金)は、UBC人類学博物館で、2012年2月12日まで開催されている。
(取材 三島直美)
石内都さん
1947年生まれ。70年代より写真家として作品を発表する。2009年には、写真集「ひろしま」(集英社)、写真展「ひろしま Strings of time」(広島市現代美術館)により第50回毎日芸術賞受賞。
Conference: Arts of Conscience
From Hiroshima to Vancouver
写真展「ひろしま」の開催期間中、関連イベントとして、広島をテーマにした催しがUBCを中心に開催されている。
その一環としてバンクーバー・インターナショナル・センター・フォー・コンテンポラリー・アジアン・アート(センターA)で、“From Hiroshima to Vancouver”と題したシンポジウムが10月15日開催された。
午前中のパネルディスカッション“Arts of Conscience”から始まって、午後はリンダ・ホーグランドさん制作のドキュメンタリーフィルム “ANPO: ART X WAR”の上映と本人による制作秘話などの話があった後、石内都さんの座談会が行われた。
午前中のパネルディスカッションでは、ジョン・オブライアン教授(UBC)を司会者として、アーティストがそれぞれの分野で、どのように戦争、平和、トラウマ、芸術の役割に向き合っているか、何ができるのかを語り合った。
アートの役割。それは果てしない。さまざまな境界線をいとも簡単に超えてしまえる力が芸術にはある。この日、ここに集まった人々は、それぞれの分野でアートが、広島や平和といった重いテーマにどのように向き合っていけるかを真剣に見つめていた。
今後も「ひろしま」写真展開催期間中には多くの催しが予定されている。詳しくは、
http://www.moa.ubc.caのイベント欄に掲載されている。