私の記憶が確かであれば、一九五〇年代のヨーロッパにレイモンド・ローウィと云うデザイナーがいた。
彼の作品の一つであるポスターがあってそれは或るハム会社のポスターだった。
一匹の豚が向うをむいて立っているが顔はうしろを振りむいてニコニコ笑っている。胴体がお腹の部分で輪切りになっていて、その断面が旨そうなハムなのである。
こう云った通常あり得ない視覚的な表現は見る人に一瞬大きなショックを与える。
このポスターのおかげで、この低迷していたハム会社は一気に業績を回復したそうだ。
このショックな発想によるデザイン手法は当時ヴィジュアル・スキャンダルと呼ばれて今も生きている。
時は替わって一九七〇年代。私はデザイン会社を持って何人かのスタッフと悪戦苦闘の毎日。疲れた身体をリフレッシュする為に東京・銀座にあった東京温泉のサウナにたびたび通った。出社前である。
ある日の早朝、洗い桶に腰かけて向いの鏡を見ながら口笛を吹いて体を洗っていた。気分は最高だった。今日一日のスケジュールを頭の中で組み立てながら、フト自分が映っている鏡を見る。そして視線を下に移動した。
そこには当然私の分身が鎮座する姿が入射角と反射角の原理で表れた。
ゲッ!! 次の瞬間、私は洗い桶から転がり落ちる程のショックを受け、目まいがして水道の蛇口につかまる。
あろうことか私の分身のヘアーが真っ白なのだ。
何だ何だ?!と云う気持だった。今朝まで異常がなかったのに電車に乗っている間に何が起きたのか?!
とにかく冷静になろうと思って気持を鎮めようとするが、動転した心臓の早鐘のような鼓動は簡単にはおさまらない。
こんな筈はないと思ってもう一度己の分身を直視しようとした時、鏡の向うに、やせた白髪のおじいさんの上半身が表れた。しゃがんでいたおじいさんが立ち上ったのである。
何のことはない鏡を取り付けた五〇センチ程の高さのタイル壁と鏡の間に十五センチのスキマがあって本来そのスキマが無ければ自分の分身が映る筈なのに、私は反対側に座ったおじいさんの一物を見ていたのである。真正面なのだ。
原因は解ってもショックは残り、今日は早目に出ようと思った。大きな設計ミス…ブツブツ呟きながら最後のお湯をあびて私は脱衣場に向う。何となくさっきの衝撃でヒザがガクガクしている。
脱衣場に行って先ず衣服を身につけた。朝風呂の八時台は、出勤前のサラリーマンで混んでいる時間なので整髪のための化粧台も人で一杯だった。鏡に向って髪をなでつける人のうしろに椅子があって私はそのイスに涼みがてら座って鏡が空くのを待った。
一つ鏡が空いたと思ったら横から来た一人の人に先取りされた。
ここで私はその朝二度目の強烈なショックを受けて、先取りした人の後姿を凝視する。横から割り込んだその人はどう見ても豊満な女性なのだ。ピッタリ体にフィットしたパンティーの下の大きなヒップ。ウエストは悩ましく、くびれている。上半身はTシャツで肩幅はせまく、なで肩だ。
私の真正面で鏡に向いて髪をなでつける動作も、ナヨナヨとして何とも色っぽい。
背中の中程まである長髪は栗色でツヤがあり美しい。
顔は向うをむいていて見えないけれどヒップの大きさの割には足が細く色白の肌。心なしか内股で立って鏡に向う姿は女性以外の何物でもない。
私はイスに座ったまゝ動けなくなった。どうして女の人が男性用の更衣室の化粧台を使うことになったんだろう。
多分、女性の更衣室の化粧台が混んでいて、先を急ぐこの女性が係員に男性の化粧台を使わせてもらう許可を得たのだろうと推察した。
それにしても下着のまま男性用の更衣室に入ってくるこの女性の度胸には驚くしか無かった。時代が替わったのだ。
しばらくして長髪をたばねゴムの髪どめでくくり、整髪が終ったその人が振り向いた。どんな人だろう!私はこの瞬間を待っていたのだ。
そして息が止まるような、その朝三度目の衝撃が私を襲う。まん丸に見ひらいた私の目に坂田の金時のような顔が飛び込んできた。
眉毛は毛虫を貼りつけたように太く、サムライのように吊り上がっている。
鼻の下には立派なヒゲをたくわえ、おまけにタワシのようなアゴヒゲまであるではないか。どう見ても、まぎれもなく男性だった。
私は失望と強い衝撃でしばらく椅子から立ち上れない。浅ましい妄想をしていた自分も恥かしい。しかし、この体とマスクのアンバランスは一体?!
ヴィジュアル・スキャンダルはわかる。でも豚の胴体を輪切りにしたハムよりも今朝の三度にわたるショックはあまりにも強烈でまるで悪夢を見たよう。寿命も少し縮んだようだ。
その日は朝から疲れてしまって一日中ウツラウツラ。

 

2010年6月3日号(#23)にて掲載

 

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