駆け出しのデザイナー時代の話である。曲がりなりにも広告代理店の制作部に席をおいて何か面白い仕事が廻ってこないかなあ…と首を長くしていた頃のこと。
学校で仕込まれたことと現実の仕事とのギャップがあって、少々うろたえていた頃だからなかなか始めから重い仕事はまかせてもらえない。本人はさあ何でも来い…とばかり突っ張っていても、そうは世の中甘くない。 
そんな私に或る日一つの楽しそうな仕事が舞い込んだ。

日本のある大手ベッドメーカー本社の大きなショウウインドウのデザインだった。
メーカー本社のショウウインドウとなれば当然その会社のイメージ、品格が凝縮されたものでなければならない。
メーカーの広報担当からの条件があった。商品は展示する必要なし。そして日本の季節感を盛り込んだ静かなディスプレイ。奥行きのある立体造形が望ましいとのこと。
時は七月。施行は九月上旬と云うことで三ヶ月の展示期間となればテーマは「秋」、日本の「秋」である。

いくつかの完成図を作った。そしてその中の紅葉の森をイメージしたデザインが採用された。
立体造形として秋の森に落ちた栗の実を直径五十センチ程の大きさに拡大して、それも超写実的、リアルに制作して大きなウインドに数多く配置する。栗の実のベースは散り敷いた落葉だった。

リアルな栗の実の造形がどうやら鍵になりそうで栗の実の資料を沢山集めた。
本来ならデザイン・施工図までが私の担当で、その後は実際に造作を受け持つ製作部に廻される。
しかし私は最後までこの仕事、特にリアルな「栗の実」作りに携わってみたくなった。製作部に居すわって楽しい栗の実作りが始まった。
二十個もの大きな栗を作るのは大変な仕事だった。栗には針のようなイガが沢山ある。そのイガを何を使って作るか考え込んだ。なにしろ大きな栗だからイガも長いのである。
アッと気がついて近くの蒲焼屋に飛び込んだ。うなぎのかばやきに使うクシを利用しよう。イガの色に塗装して栗の実の廻りにビッシリと植えよう。そう思ったからである。
驚いたのはうなぎ屋のオヤジだった。「うなぎを持ち帰る人は大勢いるけれどクシだけ持ってく人は見たことがねェ…」とブツブツいいながらそれでも「焼鳥でもやんのかい」と云いながら数百本のクシを譲ってくれた。
念には念を入れてデザインした本人が造った栗の実は我ながら良い出来だった。
いくつかの栗は、パックリと割れて中のツヤツヤした実が顔をのぞかせている。リアルそのものなのである。
施工日は自らウインドの中に入って汗をかきながらデコレーションに没頭した。
昨晩の飾りつけが終って、ヤレヤレと満足感に浸りながらタバコをくゆらせていた私のところへ、クライアント担当の営業マンがやってきた。
なんとなく憂うつそうな顔をしている。見れば眉の間に八の字を寄せている。
夕べのウインドの施工のことで何かまずい事があったな…と直感させる顔だった。
話をきいてみたらクライアントの担当者は満足しているけれど社長からダメが出たそうで、その理由は栗がリアル過ぎてハジけて割れた栗などはなんとなく女性のシンボルをイメージさせる…との事、
とうとう、そのウインドはメーカーの社長の一声で一日だけの展示となって撤去されてしまった。
ふてくされている私のところに翌日又、営業担当がやって来て悪いけど大至急代案を作ってくれ…と云う。
自営業じゃないから断る訳にもゆかない。渋々私は別案のデザインを仕上げた。
その代案は早速クライアントのOKが出て再び製作に取り掛かったのは、云うまでもない。何しろ既にウインド・デコレーションの完成日はとうに過ぎている。

二作目は無事に終了した。イヤ終了したかに思われた。二作目の飾り付けが終った翌朝、又営業担当が私のところに現れた。又浮かない顔だ。
よくよく聴いてみたら、又今度も社長のクレームがついたそうで、今度のディスプレイのメインになっている造形物が、どうも男性の…と云ってると云う。

「イイカゲンにしろよ!!」さすがに私も堪忍袋の緒が切れて怒鳴った。云われてみれば確かに巨大な松茸の林立は迫力があった。営業担当が私をシキリになぐさめる。「何しろベッド屋さんだからなあ…」結局、二作目も一夜にして撤去の憂き目を見た。
営業担当が私のご機嫌が斜めなので一杯おごってくれた。デザインは別のデザイナーに替わってもらった。
一般家庭には、まだまだベッドが普及していなかった一九六〇年代はじめ頃の日本の秋のことである。

 

2010年4月15日号(#16)にて掲載

 

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