2017年5月25日 第21号

昨年9月、ブラジル・リオデジャネイロで開催された第15回パラリンピック夏季大会「リオパラリンピック2016」で銅メダルを獲得したウィルチェア(車いす)ラグビー日本代表。悲願のメダル獲得を経て、視線は今、2020年東京に向いている。 今年3月10日から3日間、ブリティッシュ・コロンビア州リッチモンド市オリンピックオーバルで開催されたバンクーバー・インビテーショナル・ウィルチェアラグビー・トーナメントに日本代表が参加。リオパラリンピックに出場した選手を含め、東京に向けた若手中心で挑んだ。

結果は「全勝優勝」。新監督で挑んだリオ後初の国際大会で、目標通りの成績を残し、まずは東京に向け第一歩を踏み出した。 今回は大会1日目に、リオ代表選手と日本代表初の女性選手に話を聞いた。

 

 

大会1日目終了後、全員で。2017年3月10日リッチモンド市オリンピックオーバル

 

リオ銅メダルの瞬間

 「試合が終わる前から泣いてました」。島川慎一選手は、そう言って笑った。「やっと報われたなっていうね。う〜ん。長かったですねぇ」。日本代表としてパラリンピックに初めて参加したのは、2002年アテネ大会。競技歴18年。「リオまで17年かけて、ようやくメダルが取れました。4大会ですね」。

 2012年ロンドン大会では、大会8カ月前に試合中に指を切断する大けがを負った。指は元通りに回復したが、「パラリンピックでは自分自身があんまり使い物にならなかったので、その屈辱を晴らすためにもリオに向かって行きました」。リオの結果は誰よりも胸にしみている。

 リオで主将を務めた池透暢(ゆきのぶ)選手は、「1時間くらいかかりますよ」と笑った。「簡単な言葉だったら、ほんとにも、最高の瞬間です」。2012年ロンドンパラリンピック後にウィルチェアラグビーに転向。メダル獲得を目標に、ここまで全てを費やしてきた。銅メダルを「喜んでもらえる人たちに見せれたのは、すごく幸せなことでした」。

 次は東京で金メダル。それ以外の目標は考えていない。

 

リオでの銅が東京での金を 保証するわけではない

 リオでは銅メダルという結果を残した。次は、開催国として東京で金。誰もがそう思う。日本代表は着実に力をつけてきた。それでも池選手は「リオは銅メダルですけど、このまま普通にいって金メダルを取れるわけではないので。ほんとに真剣に金メダルを目指すには、何が必要か、個人として必要なもの、チームとして必要なものを、今、成長させていってるところです」。

 リオで「銅メダルを取ったので、次狙うところは金しかないわけで。前回取れなかった金メダルを目指して、また残りの3年弱、しっかり自分と向き合って、チームもしっかり作り上げていきたいですね」と島川選手。「東京に向けては、もうやりきるしかないんで。行けるところまで行ってみようかなって」。東京まで残っていれば、おそらく最年長だろうと笑う。「今回も親子くらい年が離れた選手もいて」。しかしチームには、まだまだベテランが必要だ。

 日本のポイントゲッターとして活躍する池崎大輔選手は、「新コーチとなり、どういうふうに成長させてくれるか、自分たちもどう成長していけるかっていうのはあります。個人的には、フィジカル面でも、パフォーマンス面でも、メンタル面でも、ドンドン伸ばしていくっていうのを、していかないといけないですね」と語った。

 日本代表は、リオ後に新しくアメリカのケビン・オー監督を迎えた。アメリカ代表、カナダ代表を、これまで率いてきた監督。今回が日本代表監督して初の国際試合。日本代表の印象については、「リオでも金メダルを取れたチーム」と評した。

 「池透暢、池崎大輔という2人の素晴らしい選手を中心に、今回の若手や、今回は参加しなかった選手を合わせてできあがるチームは、素晴らしいものになると思う。東京をすごく楽しみにしている」と、東京に向けイメージはすでにあるようだ。

 

監督も期待の紅一点

 今回、日本代表として初めて女子選手が参加した。倉橋香衣(かい)選手。監督は「ケガをする前はトランポリンの選手。運動能力が高く、また女子選手ということで、ポイントも有利になる。そうすれば作戦の幅が広がる。彼女自身はまだまだ競技を勉強中だが、期待している」と語った。

 国際試合が初めての倉橋選手は、「楽しかった」と顔をほころばせた。男子選手に囲まれているというだけでなく、その特性から、女子選手には敬遠されがちな競技。

 ウィルチェアラグビーはカナダ発祥。四肢まひの選手でも車いすバスケットボールに代わる競技を、と1977年に考案された。バスケットボール、ラグビー、そしてホッケーの要素を取り入れているという。「氷上の格闘技」といわれるホッケーを取り入れるところがカナダ人らしく、しかも「格闘技」の要素を車いす競技に適応させた。オリジナルの競技名は「マーダーボール(Murderball:殺人ボール)」。ルール上、車いす同士を衝突させることが許されている。というより、それこそが、この競技の華。衝突の勢いで車いすごとひっくり返ることもある。

 怖くないのかと聞くと、「怖いって思ったことはなくって、それが面白いからラグビーをやり始めました」と、笑顔で答えた。始めて約2年。性別は気にしない。まだまだ理解することも多く、速く走るという基本的なところからやっている。「全部をがんばるって感じです」。満面の笑みで答えた。

 

ウィルチェアラグビーにもっと挑戦してもらいたい

 オー監督は、女子選手が少ないこともそうだが、東京ほどの人口が多い街で、障がい者がスポーツをやっているところをあまり見かけないことに驚いた、と語った。 ロンドンパラリンピックではカナダ代表を率いた監督。大会18カ月前にメディアの協力を得て「パラリンピックで国を代表できるんだよ」と呼びかけ、選手を集め、チームを作りあげ、銀メダルを獲得した。

 日本でも同様にもっともっと障がい者にウィルチェアラグビーを知ってもらいたい、挑戦してもらいたいと思っている。スレッジホッケーや車いすラグビー経験者でもいいし、プレーできる人なら歓迎する。

 競技人口もまだまだ少ない。東京、そしてその先へ。選手の発掘にも力を入れる。

 

東京、そしてその先へ

 今回のような国際大会を若い選手が経験し、そこから何かを吸収して次につなげる。池や池崎を中心としたチーム作りは必要だが、いつまでも2人に頼ったチームではいけない。各選手が貢献できるチーム作りを目指していく、とオー監督は語った。

 トレーニングも大会も重要だが、「若い選手を育てるのもやってかないと」と島川選手。競技が東京で終わるわけではない。

 ウィルチェアラグビーを取り巻く環境は、格段に良くなった。「昔なんて、みんな自腹でやってましたから」と島川選手は振り返る。それに比べると、現在はスポンサーも付き、強化費も増え、充実した環境で練習ができるようになった。海外遠征も増えた。ウィルチェアラグビー選手としての活動が、生活の中心という選手も多い。「日本のチェアラグビーの環境がすごく良くなっているので、そのおかげで自分たちもレベルを上げてくることができたと思っています」と池崎選手。池選手も同じ意見だ。

 当然、結果も求められる。「競技を続ける以上、金メダルを目指して、納得のいくところまで夢を追いかけることが、自分たちの使命だと思います」とは池選手の言葉。

 悲願の初メダルを経て、さらに、その先を目指して成長を続けるウィルチェアラグビーの選手たち。日本は現在、世界ランキング3位。バンクーバーでは、2018年春の同大会と、夏のカナダカップで観戦できる。日本では、今月25日から東京でジャパン・パラ・ウィルチェアラグビー・チャンピオンシップが開催される。

(取材 三島直美)

 

 

2008年カナダカップ参加の時は、北京大会に向け「全力を尽くしてメダルゲームまで持っていきたい」と語っていた島川選手。それから12年。東京では金を狙う

 

「パラアスリートが、競技レベルも、人間性も、社会性も、もっと成長していけば、よりよい社会に少しでも貢献できるようになっていけるのかなって思ってます」と池選手は語った

 

日本代表紅一点の倉橋選手。「やらなあかんことがいっぱいやから」と言いながらも、いつも笑顔。「楽しい」が表情からあふれていた

 

新しく就任したオー監督。「ホスト国のチームでコーチができるのは、とても光栄なこと。このチャンスをもらったことに感謝したい」と語った

 

池崎選手、今大会もシアトルのチームで参加。「その方が身になるかと思って」と理由を語った

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。