2016年9月29日 第40号

バンクーバー国際映画祭招待作品東北の新月
『A New Moon over Tohoku』
Proudly sponsored by バンクーバー新報

『東北の新月』は、バンクーバー在住の映画監督、リンダ・オオハマ氏が、東日本大震災の被災地や被災者について世界に発信したいと、仮設住宅で被災者と寝食を共にしながら撮影した作品だ。バンクーバー国際映画祭(VIFF)の正式招待作品に選ばれた。映画祭には、撮影に協力した被災者の一人、佐々木賀奈子さんと、二女の星瑛来(せえら)さんも参加する。佐々木賀奈子さんは、今も仮設住宅で暮らしながらボランティア活動を続けているという。リンダ・オオハマ監督と佐々木賀奈子さんに話を聞いた。

 

リンダ・オオハマ氏(写真提供VIFF)

 

バンクーバー国際映画祭での上映予定
10月5日18:15 International Village 9
10月7日13:30 International Village 10  
www.viff.org

 

『東北の新月』について簡単に説明してください
 リンダ・オオハマ監督(L):『東北の新月』は日本の精神が回復していく様子を描いた映画です。地震、津波、原発事故という大震災の後、生き残った人たちと彼らの愛、そして日本の伝統を描きました。映画の語り手は岩手、宮城、福島の3県の人たちです。

製作を始めたきっかけを教えてください
 L:振り返ってみると、震災から数カ月して東北に着いた瞬間から、作り始めていたように思います。東北で出会った様々な人の話を聞いていたときからです。
 未曾有の被害を受けた東北の海岸線を進みながら、多くの人に出会い、話を聞き、私もいろんなことを感じました。そして、それがどんどん私の中で積み重なっていったのです。震災後、最初に東北を訪れたときの一つ一つの瞬間がすべて映画の一部分となっています。
 東北の人たちからたくさんのことを教わりました。5年間という長期にわたり、この映画のために頑張ってこられたのは、東北の皆さんのおかげです。
 映画の中でその人を見ることはなくても、その人の声を聞くことはなくても、彼らはそこにいてくれます。まるで新月のように。新月もちゃんとありますが、目には見えません。
 私が東北に行ったのは、映画を作るためではありませんでした。ボランティアの人たちと一緒に私もお手伝いしたい、それだけです。でも、カナコとセエラをはじめ東北の人たちから、東北以外の場所にいる日本人に、自分たちの話を聞いてもらうのを手伝ってほしいと言われました。でもその時は、映画を作るのは私の役目ではないと思いました。
 気持ちが変わったのは、原発事故でゴーストタウンとなった警戒区域を初めて訪れたときです。
 立ち入り禁止となった街の大通りを歩いていると、恐ろしいSF映画の登場人物になったような気分になりました。命のカケラもなく、少しの記憶だけが残っていました。人類が何を作り、何を壊してしまったのか、この目で見るのは不気味で、とても悲しかったです。涙が止まりませんでした。その瞬間に映画製作者としての私が頭をもたげてきました。

今回、映画祭のためにカナダにいらっしゃった佐々木賀奈子さんについて教えてください
 L:震災以前から、カナコの娘のセエラ(星瑛来さん)のことを知っていました。セエラが通っていた大学で講義を行ったことがあり、セエラはその講義の学生でした。
 私は大学で講義することで、映画製作をするための資金を作っていました。多くの大学がサポートして、映画や日系カナダ人の歴史などを教える機会を作ってくれました。大学で教えることがなければ、これだけの期間、映画を作り、ボランティアをする金銭的な余裕はなかったと思います。
 講義の後、セエラが話をしたいと言ってきました。大学のことで相談があるのかと思ったら、自分は、震災で大きな被害を受けた大槌町出身で、家族は幸いにも助かったものの、心配だ、大学を辞めて帰りたい、でも、家族は大学をちゃんと卒業するようにというので悩んでいるといいます。家族や友人は家をなくし、食事や水も十分にない状態にある。悩んでいたセエラに大槌町に行って、家族や町のために何かやってみると約束しました。
 全ての道路が復旧していたのではなかったので大変でしたが、何とか大槌町まで行って、カナコに会いました。カナコが臨時で開いていたクリニックを訪れると患者でいっぱいでした。

賀奈子さん、初めてリンダさんに会ったときの印象を教えてください
 佐々木賀奈子さん(K):娘からカナダのリンダさんが、大槌にいらっしゃるから協力してと電話が入りました。見た目は日本人と変わらないし、話すと片言の日本語です。優しい目で、初めて会った気はしませんでした。言葉が通じないのに、心や思いが通じていました。

賀奈子さんも映画に登場していて、また協力していると聞いています。出演・協力しようと思った理由を教えてください
 K:最初は私達家族を撮影するとは、思っていませんでした。星瑛来から話は聞いていたけれど、現地に入り被災地を目の当たりにして、あまりの酷さにカメラをとれないとリンダは私に話しました。
 一方、記録に残さなければならないと頭では思っていても、心ではシャッターを押せない自分自身がいました。自分はできなかったのに、プロなんだからカメラでとってといつの間にか、話していました。その頃、町のあちこちで興味本位で、許可もなくシャッターを押す方、カメラを回す方がたくさんいましたが、リンダは違いました。被災者に寄り添っていました。
 撮影に協力したのは、生き残った、生かされた者が伝えなければならないことを、精一杯やらなければと思ったからです。

賀奈子さん自身も被災者と聞いています
 K:自宅兼治療室で大地震に遭い、駐車場で波にのまれ何度も何度も沈んだりしました。

賀奈子さんは家族ぐるみでリンダさんとお付き合いされてきたようですね
 K:当時大学生だった星瑛来が、リンダに聞いてもらいたいと訴えたことが発端で、こんなに凄いことになるとは思ってもいませんでした。何度か会うたびにリンダは自然と回りの人を巻き込む天才先生! リンダの人柄だと思います。リンダのお孫さんのキルトメッセージ(注:リンダさんは、がんばれ東北!カナダと日本、キッズメッセージ・キルト・プロジェクトも立ち上げた。カナダの子どもたちが布の絵手紙を作り、日本の子どもたちも布の絵手紙を返した)に患者さん、町内の方々が協力してくれました。

今回、「東北の新月」がバンクーバー国際映画祭およびカルガリー国際映画祭に招待されたそうですね
 L:両映画祭で招待作品に選ばれています。当初、カナダでのプレミア上映はVIFF(バンクーバー国際映画祭)でと考えていましたが、カルガリーのほうが先になっています。カルガリーが9月30日と10月1日、バンクーバーは10月5日と7日、そして新たに招待作品にハワイ国際映画祭、ローマ ・ インディペンデント映画祭の招待作品にも選ばれました。

賀奈子さんもバンクーバー国際映画祭とカルガリー国際映画祭に自費で参加されると聞きました
 L:カナコとセエラからVIFFに参加したいと聞いたとき、遠すぎるのではないかと思いました。カナコは震災から5年以上経った今も、仮設住宅で暮らし、鍼灸師として毎日長時間働いています。そんな二人が自費でバンクーバーに来たいというのです。震災直後から、これまでサポートしてくれたバンクーバーの人たちにお礼を言うために。

最後にバンクーバー新報の読者へのメッセージをお願いします
 K:カナダ、バンクーバーの皆様、東日本大震災のときは、大変お世話になりました。海は大好きですが、津波は嫌い!津波は家、財産、親戚、たいせつな友人、ペット、植物を奪いました。自然の前では人間は何もできないけど、津波は私の心、夢までは奪えない!
 生き残った生かされた者として諦めず、怒らず、いばらず、くさらず、負けないで、助け合って一日一日を大切に生きていこうと思っています。
 備えあれば憂いなし、自分自身の身は己で守ってください。私が生まれたところでは、命テンデンコということが伝えられてきました。津波の時は命は一人ひとりがそれぞれで守って逃げろということです。
 L:毎日、自分たちの周りの幸せに感謝しながら暮らしていくことができればと思います。美しい自然、家族、健康、友達。どんなことでもいいのです。ネガティブ思考にとらわれることなく、ある幸せを楽しんでください。
 映画製作に協力してくださった皆さんに感謝を申し上げたいと思います。家族、友だち、ボランティアとしてインタビューを英訳してくれた人たち、エミリーカーの私の映画のクラスをとっているトムとレーザー。バンクーバー新報や月報、Nikkei Voiceにもお礼を申し上げます。
 映画祭でお会いできるのを楽しみにしています。東北の人たちを応援するためにも、映画を観た後の投票もお願いします。

(取材 西川 桂子/写真提供 リンダ・オオハマ氏)

 

リンダさんが初めて佐々木賀奈子さんと会ったのは岩手県大槌町。当時、BC-アラスカ漁師から東北の漁師への支援活動を手伝っていた。義援金受け取りの申請に来たわかめ漁師らと

 

宮城県仙台市若林区荒浜の漁師の皆さん。彼らの話はいつも楽しい

 

津波が襲った場所に立つ賀奈子さん父娘

 

新しいクリニックの前で手を振る賀奈子さん

 

荒浜の漁師たち。物資、装備が不足する中、ガレキ除去と漁のために海に出ようとしていた。リンダさんは漁師の家族に頼まれて、ライフジャケット購入の資金集めを手伝った。その努力に感謝して

 

2016年4月の大槌町。復興への道のりは長い

 

3週間、バンクーバーから撮影カメラマンのカーク・トーガスさんが来てくれたときは、リンダさんも慣れない音声の仕事を担当した

 

震災後テントで暮らす宮城県女川町の被災者たち。自分もテントで暮らすことを決めたリンダさんを歓迎してくれた

 

大槌町でのメッセージキルト展で、(左から)太田未彩希さん、佐々木賀奈子さん、リンダ・オオハマさん、佐々木星瑛来さん

 

かつて大槌駅のプラットホームがあったところで。東北の新月にも登場する、古来からの神楽踊りのシーン

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。