2020年3月19日 第12号

 午前0時20分頃、イエローナイフへと向かう飛行機の中、母に起こされた。「章太郎、あれって…」。窓の外で緑白色のカーテンが揺れていた。「これがオーロラなのか」。初めての出会いは思いがけないものだった。

 

筆者。森とオーロラをバックに(2月10日夜遅く)

 

 日本を発つ数日前、福岡の祖母から電話がかかってきた。「あんたたち、行っていいんね?」。当時、新型コロナウイルスの感染者が初めて日本国内で確認されていたため、カナダで入国拒否されるのではないかと、心配していたのだ。祖母の心配はもっともだが、どうしても行っておきたかった。

 今回の旅行の目的であるオーロラ観賞は、私が言い出した。2年前に本屋でオーロラの写真集を見て以来、「いつかは見てみたい」と思っていたのだ。祖母に渡航することを伝え、2月4日、日本を出発した。

 経由地のバンクーバーでは、友人に思いがけないことを言われた。「こっちの人はオーロラを見るために、わざわざイエローナイフには行かないよ」。稀にバンクーバー近郊でオーロラを見れることもその理由の一つらしいが、なにか腑に落ちない。イエローナイフは天候が安定しており、晴天率も高いため、オーロラ観賞には絶好の場所として世界的に知られている。しかもバンクーバーから直行便で約3時間の場所に位置している。さらに聞いてみると、こう言ってきた。「そんな寒いところに行きたくないよ。あとオーロラって、実物はそんなにきれいじゃないんでしょ」。長年少しずつ膨らませてきた期待が、地元の人の話で一気に萎んでいくのが分かった。

 さらに追い打ちをかけるように、予約していたイエローナイフへ向かう便が悪天候のためキャンセルに。次に搭乗できる便は7時間後で、到着は午前1時半を過ぎる。オーロラは午前0〜2時に出現するといわれるため、初日の観賞は絶望的になった。今回は両親との10年ぶりの海外旅行であり、私の卒業旅行でもある。「ツイてないね…」。両親と顔を見合わせた。

 だからこそ、機内でオーロラを見ることができたときはうれしかった。光は弱かったとはいえ、地上から約10km、雲の上から眺める景色は格別だった。周りが寝静まる中、両親と代わる代わる小さな窓から、空を眺めた。

 あとで分かったことだが、同時刻の現地の天候は曇りで、地上からはオーロラを見ることはできなかった。雲の上を飛んでいる飛行機だからこそ、見ることができたのだった。

 さらに幸運なことに、私たちがイエローナイフに滞在した6日間は天候に恵まれた。機内での『観賞』を含めると計4日間、オーロラを見ることができた。どれも覚えているが、初めて見た『オーロラ爆発』は特に印象に残っている。

 「来てますね! 外に出ましょう」。2月6日午後11時30分頃、現地で10年以上オーロラを追いかけている日本人ガイドの興奮気味な声に押され、氷点下20度を下回る外気に身構えながら車を飛び出した。空を見上げると、細い緑の光が徐々に大きく濃いカーテンになり、激しく揺れ動いた。次第にカーテンの裾は淡いピンク色に変わり、同行した他の客からはため息が漏れた。その後、オーロラは約30分間にわたって、竜や蛇、鳥、人の顔のような模様に変化しながら、空を舞った。

 私たちはその美しさに見惚れ、撮影に没頭した(没頭するあまり、3人合わせて約200枚の写真を撮影したが、全員が映った写真は2枚しかなかった)。その日のツアー終了後は午前2時頃にホテルに戻ったものの、興奮は冷めやらず、カナダ産ビールを飲みながら互いに感想を言い、写真を見せ合った。それは5時頃まで続いた。

 帰国すると、状況が一変していた。新型コロナウイルスに関するニュースがひっきりなしに流れる。蔓延を防ぐため、私の大学の卒業式も取りやめになった。近くのスーパーマーケットではマスクだけでなく、トイレットペーパーまでも品切れになった。

 真空の中にいるような静けさ、トゲのように肌を刺す冷たい空気、そして空に漂うオーロラ。混沌とした東京にいると、イエローナイフでの日々が無性に恋しくなる。

(文・写真 古賀章太郎)

 

凍った湖の上で見た初めてのオーロラ爆発(2月6日夜中)

 

日本人ガイドの車に乗ってオーロラを追いかけた(2月6日夜中)

 

森のはるか上空で揺れるオーロラ①(2月10日夜遅く)

 

森のはるか上空で揺れるオーロラ② (2月10日夜遅く)

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。