ヘア・エステ・ネイル・指圧と、トータルビューティを提案する「KAEN」に続き、 昨年はネイルがメインの「Nail de KAEN」をオープンさせた荒川安史さん。世界最大のネイルコンテストIBS(International Beauty Show)のハンドペイント部門での1位入賞など、数々の賞を受賞しているトップネイリストであることは昨年本紙でも紹介した通りだ。 今回は、荒川さんの企業家としての顔を取材した。
思い切ったキャリアチェンジ 名古屋出身。大学卒業後、語学留学でカナダを訪れたのは1998年のことだった。しばらくESLに通った後、専門学校でホスピタリティーマネジメントを 学んだ。バンクーバーが気に入った荒川さんは、その頃からカナダに移民することを考えていたという。そんななか、専門学校で築いた人脈からホテルの調理場 での仕事を得る可能性を掴んだ荒川さんは、持ち前の行動力を発揮し、日本に帰国後さっそく調理師免許を取得。ワーホリの申請をしてバンクーバーに戻ってき た。 しかし折しも9・11のテロ事件が勃発し、どこのホテルも人員削減が進んでいた。荒川さんの希望していたホテルの仕事もなくなったが、「何もしないのは もったいない」と、来加して一週間も経たないうちにジュエリーショップの店員として働き始めた。「ダメなら、次!」。その転換の速さが、次なる展開を呼び 寄せる。その後移民の申請を行い、移民権を取得するまでの8カ月は働けなかったわけだが、この期間を荒川さんはキャリアチェンジのチャンスに変えてしま う。「手に職をつけてクリエイティブな仕事がしたい」と考え、さまざまなオプションを検討した。その際、ジュエリーショップで一緒に働いていた女性の「手 先が器用だから、ネイルをやってみれば」という一言に触発され、軽い気持ちでネイルの学校へ通い始めたという。人生、何がきっかけになるかわからない。も ともと細かい作業の得意だった荒川さんはその才能を見込まれ、卒業後に在籍した学校の講師の仕事を任されるまでになった。他のサロンで働きながら講師の仕 事とジュエリーショップの仕事を掛け持ちでこなすという超多忙な日々を過ごしながら、「自分のやりたいことを実現するためにも、やはり自分の店を持ちた い」と考え始めたのはこの頃。「自分は器用だけど、一つのことを極めるということができていなくて、それがコンプレックスにもなっていた。極めてみたいと いう気持ちがあった」と回想する。「決めたら実行する自信があります」という本人の言葉通り、その気持ちを実行するのに時間はかからなかった。
初めての経営、そして今後の展開 学校を卒業して1年後の2004年、最初の店舗「KAEN」をオープン。店の経営は初めての経験である。知り合いの経営者から話しを聞いたりして一から 学び、発注、会計などすべてを自分で行う。「勢いですよ」と笑いながらも、「若いからといって舐められたくない。負けたくない」という気持ちをバネに突き 進んだ。 コンペティションでの入賞により、バンクーバーだけでなく世界に通用するトップレベルの技術の高さを証明。経験と実績を積み上げ、クライアントの信頼と ニーズも高まっていくなかで、自身のフィールドであるネイルが主体の店を始めようと決意した。5年先まで見越したうえでの決断だった。「決してチェーン展 開したいわけではないんです。本当は、一つの店ですべて自分の目が届くようにしたい」と荒川さん。「仕事は趣味です」と言い切るだけに、ギリギリまで現場 で働きたいという。「ハードルを越えることで仕事を通して自分も成長していくのが楽しい」。そんな荒川さんが普段心がけているのは、「今できることはすぐ にやる」こと。言うは易く行うは難しだが、これは成功している人に共通する法則でもあるようだ。「できないこともあるんですけどね」と言いながらも、常に 自分で自分にプレッシャーをかけながら、次々に目標を達成していっているのはさすが。「次なる目標は?」の問いに、「まずはクオリティーの追求。そのうえ で、最終的には(ネイリストとしてではなく)アーティストとして、クリエイティブな仕事をしていきたい」と語った。 人気ネイリストとして、また経営者としての仕事だけでなく週に1度は学校の講師も務めるなど多忙を極めるはずだが、まったく気負いを感じさせない、自然 体の人柄が魅力。取材中、話しを聞いているだけでたくさんのエネルギーをもらった。今後の活躍にますます目が離せない人物である。
(取材 伊藤寿麻)
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