2017年10月19日 第42号
あるセミナーでのこと。Aさんの話す順番がきて自分がうれしかったことを発表しました。
「私は20年勤務した会社を人間関係がもとで退職してしまいました。その後なかなか職が決まらず焦っている私に『そんなに焦らないで、1年位かかるつもりで自分に合った会社を探せばいいわよ』と、文句も言わず元気付けてくれる妻に、僕は本当に感謝しています。妻よ!ありがとう… 」。
私は、これを聞いてご主人が就職先を転々としていたら、本当は奥様としては気が気ではないはずなのに、愚痴も言わず、しっかりした奥様なのだと感心していました。普段なら人生の一コマとして聞く程度なのに、この時はなぜか妙に気になってしまい、頭から離れませんでした。さらに退職のつど、誰かに相談したのかしら?と思ってしまいました。
さて、私はここ一番の時には、当たるか当たらないかは別として、自分の運勢を知りたいと思う方です。そのきっかけとなったのは、亡き兄のことがあったからです。
東京で働いていた兄は、父が亡くなったことを機に、青森に戻ってくるようにと伯母に勧められ、帰省しました。戻ってからの仕事も数年は良かったものの、だんだん雲行きが怪しくなります。そしていよいよ行き詰まってしまいました。
兄は「一生懸命がんばって次の仕事が決まっても、どういうわけか就職する間際になって病気になる」。それが2度か3度続いて従姉に愚痴をこぼしたそうです。これこそ、兄の奇妙な運命だったのでしょうか。
従姉は「人間には良いときと悪いときの運気というものがあり、悪いときに新たなことをしようとしてもうまくいかないときもあるのだから、あの時はたまたま時期が悪かったのかもしれないよ。だからそんなに落ち込まないように」と励ましてくれたそうです。
この時私も初めて運命というモノがあるのだ、と思ったのです。
私自身も20歳の時、後から聞かされ驚くようなことがありました。それは郷里を離れ東京に就職したときのこと。
早くに母が亡くなって、5年生から高校を卒業するまで、明治生まれの伯母に育てられました。まだ日本が貧しい時代をたくましく生き抜いた人です。そのせいか私は大人並みの手伝いを強いられていました。その私がいなくなっては人手が足りなくなってしまうので、私の東京行きを伯母は絶対に反対すると思っていました。
ところがなぜか反対しなかったのです。当時は、反対されなくて本当に『ラッキー』程度にしか思っていなかったのですが、のちに、地元では有名なある占い師さんから「この娘は遠くに出した方がいい、ここで世話になった恩も忘れることがなくなる」と伯母が言われ、そのアドバイスに従ったということがわかったのです。もともと私の父方は、年の初めに親戚中が集まって、この占い師さんから1年の運勢をみてもらうことが恒例行事になっていました。やはりアドバイスには従わざるをえなかったのでしょうか。占い師さんの言うとおり、今も私は育てられた恩を忘れることはありません。
話は冒頭に戻りますが、このような経験からAさんに「悩みが解決しないようなら、いっそ鑑定してもらってはどうですか?」と提案しました。もちろん鑑定の結果に頼り過ぎてはいけませんが、職の選択は自分の好みと適職は一致しないこともあるようです。ですので、参考にするのもありかなと思っています。
また、どんな鑑定をされるか不安に思うかもしれませんが、小林正観さんいわく、「良い占い師の見分け方」の一説に悪い占い師は悪い予言をし、良い占い師さんは未来に希望をもてる鑑定をするのだそうです。
それから、私が絶対に忘れてはならないと思うことは、「覚悟」です。鑑定結果の良し悪しの最終判断をするのはご本人です。人のせいにしないためにも、また信念を持って臨むためにも私は覚悟が必要だと思っています。
さて、皆さんは自分の運勢を知りたいと思いますか?
著書紹介
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福本衣李子 (ふくもと・えりこ)プロフィール
青森県八戸市出身。接客コンサルタント。1978年帝国ホテルに入社。客室、レストラン、ルームサービスを経験。1983年結婚退職。1998年帝国ホテル子会社インペリアルエンタープライズ入社。関連会社の和食店女将となる。2005年スタッフ教育の会社『オフィスRan』を起業。2008年より(社)日本ホテル・レストラン技能協会にて日本料理、西洋料理、中国料理、テーブルマナー講師認定。FBO協会にて利き酒師認定。