2018年4月12日 第15号

 家庭内暴力ということが、よく言われる。僕自身も、日系ボランティア組織「隣組」がワークショップ(勉強会)で使用するためのデモビデオに出演した事がある。たまたま、僕自身が地元バンクーバーの劇のグループにいたから、声がかかったのであるが、ビデオ映画の撮影は、初めての経験で面白く、興味深かった。

 内容は、年寄りに対する家庭内暴力で、僕の役は、認知症の老人で、家族から薬を、毎回に決められた量より多めにもらい、飲んでいるうちに、だんだん健康がおかしくなるという役であった。

 もう一つは、老いて寝たきりの母の代わりに僕が銀行に行くのだけれど、母の銀行口座から、いつも余分に引き出してくるという役で、銀行の人がそれに気づくという話で、この様な場合、どのように対処するかということを説明するビデオ撮影であった。 

 日本で戸塚ヨットスクールというのが問題になったことがある。今回の小生のエッセイ『スパルタ教育』にでてくる戸塚ヨットスクールは、ヨットの訓練中にその生徒(問題児)の死亡事故があり、その厳しい訓練のありかたが問題となったのである。1986年ころの事である。

 ヨットの訓練をスパルタ教育で行い、いろんな問題児を更生しようという学校である。しかし、訓練中に一人の少年が死亡したことにより、スパルタ教育の行き過ぎがあったのではないかということが問題となり、マスコミを賑わした。この事は、日本における戦後の教育を考えさせる機会となった。 

 ある春の日、ブリティッシュプロパティーの海に近い公園で、カナダの少年達がサッカーの練習試合をしていた。朝から、ぱらぱらと降っていた雨は、昼頃には強く降りだし、止む気配もない。私は帰る用意をしたが、試合は中止になることもなく続けられた。

 その時、自分が若い頃に、富士山の麓で、世界ボーイスカウト大会が行われた時の話を思い出していた。その日は、台風がこの地方に接近しており、しだいに風雨が強くなるとともにキャンプが困難となってきた。各国のボーイスカウトは近くの公共施設等に避難をした。しかし、最後まで、国の名誉にかけて頑張ったのは英国隊のボーイスカウトであった。

 この風雨をものともしないスピリットは、頑固なほどに英国の歴史と伝統を守ると同時に、未知の世界にチャレンジする冒険精神につながっているようにもみえる。

 日本の古文書に「子を思う故にや、親つぎの木の弓をもって学問せざりし子に教えたり。」とある。解釈に「延暦寺の第十五代座主延昌(八八三年から九六七年)は、少年時代から延暦寺に入って学問に励むが、ある時、学問が辛くなり実家へ帰る。怠惰な心に負けたわが子を、父はつぎ(ケヤキのこと)の木の弓が三つに折れるほど厳しく打ちすえ追い返したと言われる。延昌は父を恨み、つぎの木まで憎く思ったが、その厳しい叱咤のお陰で、後に修学も進み、ついに天台宗の座主になり、延昌は父の厳愛に感謝をして、父の死後につぎの木で卒塔婆をつくり、供養したという。」スパルタ教育も賛否両論あるけれど、子思う慈愛が大切のように思える。

 吉田健一さんのエッセイ「城」の中にスパルタの話がある。「アテネの市民にはその国家の具体的な姿が神殿と城塞をかねたアクロポリスだったので、スパルタの市民が城壁を築かず、市民の一人一人がレンガだと言ったのは、武田信玄の人は城、という言葉と同じ考えからでている。」城がなくとも人が守ってくれる。そのためにスパルタは、男子は7歳から屈強な若者、つまり優れた兵士になるように訓練をされたという歴史がある。

 


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