2020年4月30日 第14号

 2〜3cmサイズの小石が溢れるように入ったガラスの花瓶を、ステージ上の机に置いた。そして、「この花瓶はもう満杯かな?」と観客に聞く。観客はざわざわし、誰かが「ハイ」と言った。それは「日系女性企業家の会」の講演会で、同じ会員の方と2人でおこなった昔の話だ。講演者の一人は恵まれた家庭で夢の様な人生を歩んできた方だが、老婆は「名もなく金なく学歴なく」という題で、片親育ち、苦学しながら生きてきた。その女性のビジネス心構えを話した。リステルホテルの会場はほぼ満席だった。その私は何時も可能性を探し、信じ、ビジネスをやり2001年、卒中で両手麻痺になるまで楽しく働いた。そして、そのステージ上の小石がいっぱい入ったガラス花瓶に、老婆は更にポット一杯の「水」を注いだのだ。ちゃんと全部入った。

 あれから十数年、あの経験からさらに年を取ったこの老婆、4年続いた「老婆のひとりごと」最後のエッセイに一緒に老若問わず考えてほしいことを書いてみました。それは、こんな例もあるのです。

 教授は大きな石の入ったボウルを学生に見せながら「このボウルはいっぱいかな?」尋ねた。「ハイ」と学生が答える。すると教壇下から、小石を出してそこへ入れた。「このボウルに石が入った。これでいっぱいかな?」とまた学生に聞くと「はい、いっぱいです」と答えが返る。そこで教授は次に「砂」を取り出しボウルに入れる。

 また、「これでもうこのボウルは今度こそ一杯かな?」と言う。すると学生が「いいえ、まだ入ります」と答えた。教授はニコニコしながら「じゃぁ、何を入れるかね?」と聞く。学生達は「水!」と答える。そうなのです。水がポット一杯、またそのボウルに入りました。そこで、「先生が何を言いたいかわかるかなぁ」すると一人の学生が、「どんなに満杯に見えても、努力次第で、まだ詰め込むことができるということですか」とすると、教授は「そうではない」と言った。

 そして、彼は「先に大きな石を入れないと、次に何か入る余地はその後二度とない」。このボウルは「人生」そのものを示している。では私達の人生にとって、大きな「石」とはなんだろう? それは仕事や、志や、愛する人であったり、家族であったり、自分の夢だったりする。つまり、『大きな石』とは君達にとって一番大切なものだ。それを最初にボウルのなかに入れなさい。さもないと君たちは、それを永遠に失うことになるだろうという答えでした。

 私のトイレットカレンダーの「一番大事なものに一番大事ないのちをかける」と大好きな相田みつをさんの一言。それが結局、人生最後の日に、後悔なく死ねる、たった一つの生き方のように思います。

 そして、41年間しっかりバンクーバー新報を担ってきただけでなく、多くの人の心の支えにもなっていた津田佐江子社長と4年間つたない「老婆のひとりごと」を読み支えて下さった皆様に心から「ありがとうございます」。

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。