2017年7月13日 第28号

 ある時、作家の桐島洋子さんから電話があった。「澄子さん、ノースバンクーバーのロンスデールキー近くのギリシャレストランで、昼食時に白人のお婆さんが占いやっているので行ってみない?」。占い大好きな私だから「行くよ」と叫び、すぐに車で彼女を迎えに行き、2人でそこへ向かった。

 レストランは開いていたが、その日占い師がお休みだった。仕方がない、表へ出てロンスデル・ストリートの坂を少し登ってみると電柱に張り紙があった。「タロットカード・リーディング」。張り紙のすぐ横の店でやっているみたいだ。喫茶店?レストラン?分からないが、楽器がいっぱい置いてあるその店に入ると、スラーっと背高、長ーい金髪を胸まで垂らした美女が出てきたので、「リーディングをしてほしい」と告げた。彼女は「OK」と言い、我々に入り口近くの椅子に座るように勧め、一人で店の奥に入った。そして間もなくカードを切りながら出てきた。その美女はマリアという名でタロットカードのリーダーだった。桐島さんは「あのカードリーダーは私が作家だって当てたわよ。タイプライターを使う人って言ってね…。それから、海の見える家を買うって…」 。ちょうど、彼女は海の見える家を買ったばかりだった。

 マリアは私の伯母が心臓病で来年亡くなると言い、伯母は一生人を愛し、また愛されてきた幸せな人だと言った。(ペースメーカーを入れていた伯母はその翌年3月に他界)。他に見てもらいたい人は?と言われ、それではと母のことを聞いた。すると、母は伯母と一緒で本当に多くの人を愛し、また人を大切に生きて来た人だと褒めてくれた。そーだなぁ、母は仕事を通じ若者を育てていた。鹿児島から出てきた幼いM君は本当に行儀が良かった。我が家とは血縁関係はないが、離婚したばかりの母親は子供がいると再婚しにくいと言われ、M君を東京へ送ったのだ。彼は明るく真面目で私達とは兄弟姉妹のようになった。理容学校に通い理容師となり、見合い結婚後独立。Gちゃんも血縁関係はないが、栃木から我が家に来た。やはり母の店で働きながら理容学校に通学、免許を取り、さらに長年母の所で働き、結婚後独立し、父親が病気になった時帰郷した。Kちゃんもそうだ、彼女は私の父方の親戚に当たるそうだが洋裁ができ、オーバーでもスーツでも何でも上手に作る。洋裁技術はあったが、理髪師になりたくて母の所へ住み込みで来た。私達は皆まるで姉妹兄弟のように仲良く生活し、幸せだった。それぞれが独立する時、母は経済的独立援助もしてあげていたから、彼等の店へ行くとVIPなみのシャンプー、散髪全てが無料だった。

 ところで、肝心な私のタロットカード・リーディングは?…マリアはカードを見ながら「ワァーあなた大変ねぇ、こんなにいっぱい問題抱えて!」と言った。私は「だからどうしたらいいか聞きに来たの。今抱えているプロジェクトはキャンセルしようかしら?」と言った。すると彼女は「ちょっと待って!」と店の奥に入って行った。そして、男の人と戻ってきた。その男の人がテーブル上のカードを見ながら、「ふーん、大変だなぁ。でも、この問題は7月に全部解決するよ。そして、今抱えているプロジェクトを成功させるとね、これから13年間、自分で仕事探さなくても仕事の方からあなたを探しにやって来る。止めちゃダメ!」と肩を叩いてくれたのだ。またまた摩訶不思議、それは事実だった!本当に7月だった。不思議だった。問題は全て解決し、カナダディアンロッキー縦走高校生150名の大演奏旅行はバス3台、トラック1台、乗用車1台でバンクーバーを出発。コンサートツアーは大成功の裡実現でき、CBCでも取り上げられテレビに出演。バンクーバーサンにも掲載され、オルフェウム劇場での演奏会のスポンサーの一つは思い出せばバンクーバー新報さんだった。とにかく大成功だった。そしてそれから「13年間の私の仕事」、それは本当だった。毎年次々と決まったいろいろな仕事の企画は、「澄子さん来年だけどさー、これやってくれる?」、「あれやってくれる?」と向こうから入ってきた。正に13年目、それも7月だった。私は脳卒中で倒れ、医者に「20分の命」と言われた命は助けられたが、両手麻痺で仕事はできなくなった。思えば夢のような13年間だった。でもねぇ、そういうことってあるのですよねぇ。

 もう一つ、あの時店を出ようとする私たちにマリアが「貴方たちの関係をみてあげる」と言った。私にカードを一枚引かせ、すぐにカードの束に戻させた。そして丁寧にカードを切り、また2度目のカードを引いた。出てきたカードは、さっきと全く同じカードだった。次に桐島さんにも同じように束になったカードから1枚引かせた。彼女も私と全く同じカードを2回引いた。3人で顔を見合せた。誰からも何も言葉が出なかった。マリアも説明しなかった。一人、桐島さんが外へ出てから言った。「これって天文学的な数字でしか起きないことよね。これには一体どんな意味があるのだろうか?」。あれからとうとう30年。初めて彼女と出会ったのは、彼女が50歳で行った「世界一周家族卒業旅行」の終わりに立ち寄った、このバンクーバーでのことだった。今年は麻布で彼女の80歳傘寿の大祝賀会がある。本当にあれから30年が経ったのだ。

許 澄子

 

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