2017年5月11日 第19号
人間、誰もが元気で長生きしたいと願います。しかし、その準備ができていてもそうでなくても、遅かれ早かれ、誰の人生にもいつか終わりがやって来ます。
ところが、医療技術の発達に伴い、 病気や怪我を診察・治療するための医療介入の機会が増え、望み通りの最期が迎えられなくなるという状況を招いています。生命維持治療の技術も著しく進歩し、自然に、安らかに息を引き取ることができる人が少なくなっています。
認知症の場合、若年性認知症を除き、「高齢者」、「後期高齢者」と呼ばれるようになってから症状が明らかになり、診断が下ることが多くなります、急性の病気や怪我と違い、ほとんどの場合、緩やかに、しかし確実に症状が進行します。他の病気の場合、病状から大体の余命が予測できますが、認知症の場合、いつから「終末期」と見なすかの判断が難しく、寝たきりになり、 介助があっても食べられなくなる(飲み込めなくなる)頃からを終末期と考えることが多いようです。終末期になると、 喋るどころか、意思を伝達することさえままならないため、本人の意思で決定されるべき生命維持治療も、家族の意思で決定されます。認知機能に症状が現れることが多い認知症の場合、かなり早い時期から、治療方針は実質的に家族が決定することになります。
しかし、家族が決定することがどれだけ大変か…。決定に関わる家族の人数が多いほど意見が合わないことが多く、最後に誰かの心に後悔の念が残ります。「家族に任せてあるから大丈夫」とか、「家族が何とかしてくれるから大丈夫」と漠然と考えていませんか?具体的な「事前指示」がない場合、これは家族に心理的な負担をかけてしまいかねない考え方です。それまで「家族円満」と自信を持っていた家族でも、これをきっかけに、人間関係に亀裂が入らないとも限りません。
生命維持治療についての希望を事前に示す「事前指示」をしておくだけでなく、それをリビング・ウィル(生前発行遺言)に示しておけば、意識不明や認知機能障害など、自分で判断できない状態になった場合に備えておくことができます。このような指示がない場合、生命維持治療が、終末期の人の命をただ引き延ばすだけの目的で使われる可能性があっても、自己決定としての生命維持治療の拒否、差し控え、または中止は認められなくなります。
健康に自信がある人ほど、急病や不慮の事故に対する準備があまりできていない傾向があるようです。生まれ持った体質や生活環境など、寿命を左右する要素はたくさんありますが、今は元気でも、もしもの時に備えておくことは、 家族のためにできる最後の贈り物だと思います。「死」を恐れるあまり大切な話題を避けてきたことにより、大事な人を失う悲しみよりも、家族との葛藤や後悔の気持ちのほうが大きくなりかねません。後味の悪い感情を残さないためにも、話し合う機会を設けてください。家族として納得はできなくても、本人の思い通りに人生を終えることができれば、家族は悩まずにすむはずです。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定