2018年8月16日 第33号

ジョージア海峡に浮かぶ小島

 バンクーバー・アイランドと本土を隔てるジョージア海峡には、周知の通り大小無数の島々が点在する。

 その一つにメイン・アイランドと呼ばれる島があり、すでに訪れた方も多いと思うが、ここは風光明媚なこじんまりとしたリゾートの島。海峡の丁度中間辺りに位置しており面積は21㎢、人口は900人程である。

 島の歴史を見ると、1700年末期に英国海軍のジョージ・リチャードという船長がこの辺一帯を調査し、副船長であったリチャード・チャールス・メインの名を取って命名したという。

 本格的な入植が始まったのは1800年の中頃で、大陸本土の北の方面がゴールドラッシュに沸く時期に、バンクーバー島から一獲千金を夢見る人々が海峡を渡る前の物資調達の拠点として集結した島でもあった。

 島自体は小さいながらそれなりの歴史があることが分かる。特に日本人にとって興味深いのは、現在BCフェリーが出入りする島の南西部に位置する船着き場の近くに、かなりの広さの日本庭園があり、訪れる人の憩いの場所になっていることだ。

 日本人の移民は1900年に鳥取県から入植したKadonaga家が、島の南東にあるHorton Bayの入江に住み始めたのが最初で、その後22家族が次々に来島しコミュニティを形成していった。漁業、林業、農業、炭の生産などあらゆる仕事に従事して生計を立てたという。

 特にグリーンハウスで作ったトマトを始めとする新鮮な野菜類は、ビクトリアが大きな市場であった。加えてアメリカのワシントン州辺りから、アラスカ周辺のキングクラブ(蟹)を採りに行く漁船が、生野菜を大量に仕入れる最終地点でもあったとか。

 また冬場の農閑期には、バンクーバー島北部の炭鉱へも出稼ぎ仕事に繰り出し休むことなく働いたようだ。その勤勉さゆえに一時は島の経済の1/2は彼らの働きによって潤っていたと言われ、島の人口の1/3が日系移民で占められていた。島民との関係もすこぶる良かったとのことだ。

島の日本庭園

 しかし1942年に勃発した第二次世界大戦によって、カナダ政府の容赦ない強制移動の命令がこの島の日系人にも及び、根こそぎロッキー山脈の麓へ送られた。学校は閉鎖を余儀なくされ、島から彼らの姿は消えた。しかし終戦後かなり経ってから、本土の西海岸に来たHitoshi Saitoさん(1929〜2016)という日系二世が、バケーションの地として来島するようになり、シニアになってから船着き場近くに日本庭園を造ることに心血を注いだのである。

 資金集めやボランティアとして造園に協力してくれた島民が多数集まったのは、取りも直さず、戦前の日系移民たちへの快い思い出があったからとのことである。

 筆者は、観光シーズン真っ最中である8月初旬の快晴の日に初めて訪れたが、想像をはるかに超える出来栄えの庭であったのが嬉しかった。とは言え二年前にSaitoさんが亡くなってしまったせいか、メンテナンスが行き届いているとは言い難い感があった。今後彼の思いを引き継ぎ、朽ちることなく日本庭園の面影を残すことが出来ることを願わずにいられない。

 

 

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

 

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