2016年9月1日 第36号

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

 なんどか頭を下げたタケが、焼き餅をひっくり返しながら訊いた。

「こんどの幽霊は誰なんですか。ほんとの幽霊なんですか。それともやっぱり生きた人間で、殺されてしまうんですか」

「あたしだって分からないんだ。どういう恨みを持つ幽霊で、誰だか判ればなんとかするんだけどね」

こんどの幽霊もほほに切り傷があり、八年前の幽霊と同じだという。恨みごとの為に出るのは幽霊の常であるが、 それがなんだかわからない。さすがのリュウも手の打ちようがなかった。

「ところでタケさん」

 リュウがタケを見た。

「さっき泣いてたね。どうしたんだい」

 しばらく、なんでもないと首を振っていたタケであるが、三度訊かれて口を開いた。たばこ売りの金次のことを言った。

「どうしても行かなくちゃーならないって言うんです」

 首をかしげていたリュウが顔を上げた。

「タケさん、そのたばこ売りとやら、さかやきの伸びた色の白い男かい。背の低い痩せた男かい」

「えっ? ・・ええ」

 色が白いとは定吉から聞いている。タケは自らの掌中に残る金次の容姿を思い出してうなずいた。 

「そうなんです」

「それだったら見たよ。ここに来る途中で見たよ」

 リュウ自身、すれ違って歩いていたそのたばこ売りのことが気になっていた。

 男は異形なリュウを見るでなく、いやリュウの存在すら知るでなく表情なくして歩いていた。リュウは男の顔に死をかいだ。生死を超えたうしろ姿であったのだ。道を急いでいたとはいえ、声をかけずじまいになってしまい、思い悔やんでいたのだった。

 おかしいと思ったことがもう一つあった。それは、その男の着ていた袷であった。着古しの木綿の藤縞模様に変哲はなく、色の褪せた半纏も街道暮らしならではのものであった。ところが、はしょった裾の裏地が紺であった。わざわざ濃紺に染めぬいてあったのだ。

 リュウが宙に目をやった。

「母親に喉を、・・そうか・・・」

リュウがひとりごとを言っている。ぼそぼそとタケが言ったことを繰り返している。

「三つきほど前からここに・・・・餅を食った・・・近江屋の・・・」

 リュウは、タケが口にしたたばこ売りの、脇の下の傷のことまで繰り返したのであった。

 リュウがふと顔を上げた。

「別れを言いにきたんだなっ、その金次ってー男」

「えっ、・・・ええ」

「きょう、やぶからぼうに言い出したんだなっ!」

 リュウの言いっぷりが乱暴になっている。興奮すると博徒のように舌が絡むのはいつものことであった。

「ええ、今日いきなり」

「ど、どこなんだ、そいっあー」

「どこって?」

「ええい、どこにいるんだよ! どこに行ったんだそのたばこ売り。木賃にでも帰るんか」

 リュウの口舌がますます乱暴である。

「いえ、わかりません。すいません」

 詫びるタケを無視してリュウがふたたびうつむいた。そして自らのからめた指を見つめながら動くことをやめた。

「さだきちさんだわ」

 タケが身を回して言った。

 定吉の姿はどこにもない。しかし、しばらくすると現れた。ふんどし丸見えに裾をはしょげて近江屋の土塀の角をまわり、駆けてくる大柄な定吉の姿が見えてきた。

「ご、ご、ごりょう・さ!」

 近づくと、定吉は力尽きたとばかり上体を折った。駆け続けてきたのだろう身体全体を震わせてぜーぜーと息をした。

「あ、あ、あかくびと・・あおくび・・き、きょーでぇー。・・ふ、ふたりあーきょでぇー。・・し、しずの・・おとーと」

 息絶え絶えである。なんと、定吉は、赤首と青首、つまり立願寺の辰蔵と吉藏が兄弟であると言っている。その上、このふたりの兄弟は近江屋シズノの弟でもあると繰り返しているのだ。

しかし、またもやリュウが驚嘆の素振りをしない。この一大新情報を耳にして目をむくことをしないのだ。

静かに目を近江屋に向けた。

(続く)

 

 

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