2016年7月21日 第30号

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

「なにをこくんだい定吉っさん、そこまで探り出してくれりゃあ、あとはぺえぺえのぺえーってーもんだよ。ありがとよありがとよ」

「へ、中途半端ばっかりで」

  真っ暗で視認することはできないが、定吉が頭を下げているのがリュウにわかった。

「なにが中途半端なもんか」

「へい、ありがとさんす。…そいから、わっぱのことなんすが、生まれたばっかりの赤ん坊をもらってきたてーことはわかったんすが、それがどこから来たのかさっぱりなんす。相手は生きた人の子なんすから、どこかからか足がつかめると思っていたんすが、あっしにしゃべっ た手代も分からねえようで、ある朝、突然にいたって言ってる具合でして、どこからきたのかとんと、…ええ」

「そうかい。正体不明か。…そいで可愛がってるみたいなのかい」

「それがもう、可愛がってるなんてもんじゃねえそうすよ。女中にゃ指一本さわらせねえようで、おむつの取り換えから風呂に入れること、ぜんぶ自分でやってるそうで。…赤ん坊のいる 奥の間にゃー誰も入れねーで、朝っから晩までつきっきりらしいすよ」

「我が子以上だね」

「まったくそんな具合で。…おっかしな話しすが、大奥がてめえでおっぱいやってるそうす」

「おっぱい? …ちょいと待っとくれよ。大奥が自分のおっぱいをっていうことかい」

「ええ、どうやらそんなようで。赤ん坊におっぱいをやってるところを見たってー女中がいんそうすよ」

「おっぱいを? 大奥がかい。そんなことあるわけないだろう」

  近江屋シズノは四十を超した女である。しかも子供を産んだことがない。

「見まちがいだよ。子を産まない女におっぱいが出るわけないんだから」

「へえ、あっしもそうは思ったんすが」

 定吉が大げさに首をかしげる動作をした。

 リュウが声音を変えた。

「ありがとよありがとよ。…とにかくあたしゃー駒下駄の大黒屋に行ってくるよ。ごくろうさんだったねえ、定吉っあん。今晩はちゃんと寝るんだよ」

「どうもすいやせん。いつも中天びんで」

「やめとくれよ定吉さん、こんなに無理なことばっかり頼むのはあたしの方なんだから。それより、仲良くやってるんかいタケちゃんと」

「あっしはタケを仏と思ってやす」

 定吉が膝をただすようにきっぱり言った。

「ごりょうさんの前すが、あんなによくできた女はいねえ。あっしにゃーもったいなくって」

 盲の妻であったが、定吉は心からそう思うようになっていた。定吉はリュウを介してタケにめぐり会ったのだ。

「そう言ってくれりゃあタケちゃんも幸せだねえ。ありがとさんよ定吉さん。じゃ行っとくれ。ご苦労さん」

リュウが別れを言って定吉を行かせた。

「ごりょうさん」

 駆け出してほんの数歩いってから定吉が戻ってきた。なにか言い忘れたようである。

「近江屋の大奥の婿ですが」

「ああ、首をくくったっていう」

「へえ、その婿なんすが、色男だったそうで。江戸の団十郎みてえに色が白くてやさがたで…へえ」

「団十郎みたいな男前」

 リュウは定吉の言葉を思い出しながら、藤沢は遊ゆぎょうじ行寺の坂を下りて行った。

 駒下駄の大黒屋は遊行寺坂下を左に折れ、江の島みちをしばらくいった片瀬川の端にあった。名物なのだろう六尺もある巨大な下駄を店の真ん前に立て、大きく「大黒屋」と木彫りにして店幕の代わりにしていた。

 リュウがのれんをくぐるや、手代の二人と客の三人がいっせいにリュウを見た。リュウはにっこりと五つの視線に微笑み返した。

 着ているものはありきたりの木綿の袷あわせだが、リュウは背が高い割に顔が小さい。目がまん丸でまつ毛が長いのだ。色はむしろ黒い方であったが、しのびづけに巻き上げた髪がく せ毛で紅いのであった。リュウの生まれた糸満は、古来南方からの漂着民がよく着いたところで、沖縄島の中でも異貌の人が多かった。

「いらっしゃいませ」

(続く)

 

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