2019年11月7日 第45号
「トゥルクはフィンランドの京都なんですよ」。1800年代初めまでフィンランドの首都だった町、トゥルクをこう語る片山安子さん(71歳)が、この町の中心街で日本食レストラン「やすこの台所(ヤスコン・ケイティオ)」を開いてから15年が経つ。
海外移住に求めたこと
片山夫妻が2004年に海外へ移住する以前の暮らしは神奈川県にあった。安子さんは映像メディア業界で働く夫の傍らで、時に食品撮影のセッティング、時にスタイリストとして、またスタッフの世話にと家庭を開放しながら仕事をサポートしてきた。50代に入り、働き方、暮らしのあり方を転換したいと思い、夫妻は海外に目を向けた。新天地に求めた第一条件は気候の快適さ。「24時間クーラー漬けが嫌で。もっと自然に涼しいところがよかったんです」
フィンランドとの縁
安子さんが1982年に世界周遊航空チケットで旅行した際の渡航地の一つがフィンランドだった。同国が気に入り、その後も旅行で訪ね、現地に友人が生まれた。「その友人の縁で、トゥルクから1歳のお子さんを連れて日本に越してきたフィンランド人家族のことをあれこれお手伝いしましてね」。その家族と再びフィンランドを訪れた際、移住のステップが見えてきた。「友人が『安子さん、こっちに引っ越してきちゃえば』って言って方法を調べてくれたんです。フィンランドで会社を作って、そこからビザ申請というステップがあると」。
ただし、現地会社の設立には、代表権所有者にフィンランド国籍の人物が必要。そこで友人が共同代表となる形で起業した。複数部門を抱える企業として、夫は夫の事業を、安子さんはレストラン経営で会社のスタートを切る。「レストランをやった経験はないんですよ。ただ身内のパーティーにいつも20人くらいの人が来て、みんなの食事を作っていたので…。今も仕入れから何から家のお買い物のように普通にやっています」
日本文化の発信地に
「やすこの台所」で提供するメニューはカツ丼、串揚げをはじめ67種類。日系人のわずかなこの土地で、地域の人たちにも日本の家庭料理を喜んでもらえるのがうれしくて、そのメニュー数を維持している。味付けは基本的に醤油、砂糖、塩だけ。余計な調味料は使わないのが安子さん流だ。20人は座れるお店で、料理から配膳、会計、片付けのすべてを独りで切り盛りしている。「人を使って『これやって、あれやって』と言うよりも逆に気が楽なんです」。食事の終わった客たちは、たとえ安子さんが調理中で後ろ姿しか見えなくても「ありがとう」と声をかけて店を出る。「若い子でもね。そう言って声をかけてくれるんですよ」
食を通じての地域とのコミュニケーション
安子さんが店の外へ飛び出すこともある。地元の女の子たちのパーティーにケータリングを頼まれては、寿司の握り方を教え、大学のサークルから頼まれては50人分の弁当を届ける。会社の忘年会から子どもの誕生会まで、幅広い顧客たちの集いの場を安子さんの食事が彩っている。
また客からは「うちの子は家で『やすこの台所ごっこする』と言って遊んでいるんですよ」と言われたり、結婚式や子どもの出産パーティーに個人的に招かれたり。「家庭の台所を開放しているつもり」という安子さんの思いの通り、客との距離は家族や友達のようだ。
これまで風邪をひいて店に出られなかったことは、ほんの数日だけ。そんな時、休業の掲示もせず、店を閉めていると、安子さんの体を心配して連絡をくれる人がいる。「それが安心です」。夫は移住後に病気で他界したが、しばらくは自宅でヨークシャーテリアの海ちゃんが大きな支えになってくれた。
サウナのある暮らし
自宅にはサウナが備え付けられている。「風呂につかるよりも、サウナとシャワーのほうが気持ちいいですよ」。友人宅は国立公園の中にあり、サウナに入った後、家の目の前に広がるバルト海にドボンと入って風呂代わりにする。そしてまたサウナに入り、海へ。水着も着けず入るのが常識。日本の温泉同様、まさに裸の付き合いができる機会になる。「日本でのお茶の接待のように、フィンランドの人にとってはサウナがおもてなしなんです」
趣味のことから映画の話になると「『ボヘミアンラプソディ』を十数回観に行きました」と語る。フレディ・マーキュリーの生き方に啓発され、そこから関心は一緒に活動していたバンドメンバーへ。2020年1月にはクイーンのオリジナルメンバー二人が出演するコンサートを観るために日本へ飛んでいく。「私と同年代の彼らの姿を見納めておきたいんです」。そんな特別な魂の栄養も積極的にとりこむ安子さん。「お店は私にとってリハビリとボランティア。生涯現役でやっていきます」と語る声に力がこもっていた。
(取材 平野香利)