(前回より続く)
当地はボートを舫える小さな湾が沢山ある。リアス式海岸と云う地形は小さな入江や岬が無数にあって魚釣りの帰りに自分の船を停泊する湾が、うっかりするとわからなくなる。そんな小港で働くニールがいる。以前私のボートを泊めていたLOWE'Sと云うマリーナに彼が働いていた。彼自身も25フィートのパワーボートを持ち、仕事が終るのを待ちわびるように魚釣りに出ているようだった。ニールのボートは私のボロボートの隣りで、どうやら年は私の一つ下。痩身で白人独特の掘りの深い面立ちは赤いシャツでも着せてテンガロンハットをかぶせたら「LARK」と云うたばこのモデルのようだ。年を感じさせない男の色気がある。 ある時桟橋で魚釣りの立話をした。エビのいるポイントなど教えてくれた彼に、日本から帰ったばかりの私は日本で買ってきた底釣りの仕掛けを少しプレゼントした。 お互いのボートの調子など話して別れたが、その三日後私が又自分のボートのところへ行った時、船尾に立てている古いカナダ国旗が真新しくなっているのに気がついた。あとでわかったことだが、それはニールが、日本の釣りの仕掛けを私から貰ったことへの礼だった。何と義理固い男だろうと思った。それまでの長いバンクーバーでの生活ではそう云う経験はなく大体西洋人はその時は喜んで「ありがとう」を連発するものの、それはそれで後日には持ち越さない人種だと思っていた私には意外な出来ごとだった。と同時に彼等にも「義理」と云う感覚があることを知ってアッと思ったことを忘れられない。

元船大工のドン。プレスクールで働く笑顔が素晴らしいインドネシア女性パトリシア。
地元のポストオフィスに働く数少ない日本女性である奈津子さん。我家の食卓の卵は彼女が飼っている野放しのニワトリの恵みである。眼が不自由で毎日白い杖をついて家の前を通る白人女性マリーさん。みんなこの土地を愛し、この土地に寄りそうように暮らしている。移り住んでわずか三年なのに大都会では出会えなかった優しい友人が増えてゆく。切りがないので、もう一人、とび抜けて陽気なメキシコ女性ジョランダの事を書いてこの章を終らせよう。

彼女に出会ったのは家の近くの浜辺にアサリを掘りにゆく時だった。毎日この辺りを散歩している髪の毛の黒い女性に声をかけられた。聴けば家は数キロ離れているものの我家の辺りは毎日の彼女の散歩コースとのことだった。旦那のデービットは漁師。年に二度数カ月のサーモン漁に出掛ける人で、二人の息子は一人が海を越えたバンクーバーアイランドに住み、二番目の息子グレゴリーと三人暮らし。

彼女が若い頃バンクーバーで美容師をしていた時、毎週髪をカットするために来るお客があった。彼女にゾッコン惚れてのことだった。毎週来てもカットする程髪が伸びていないのでどうも変だと思ったら間もなくデービットのプロポーズ。今の旦那である。二人で我家に遊びに来ても、しゃべるのは専らジョランダで旦那は脇に座ってニヤニヤしているだけ。ひところ、日本の景気が全盛の頃、多分沢山の鮭を日本がカナダから買ったのだろう。デービットもその頃日本を訪れ、その旅行中にすっかり日本料理のすばらしさに参ってしまったらしい。ジョランダも元々蛸や魚を食べる国の人だから、二人でバンクーバーへ行けば必ず日本レストランで刺身や寿司に舌つづみを打って帰る。日本料理のことを話しだしたら切りがない。 ジョランダは多分50才台の後半の筈なのにエネルギッシュで、若い頃はさぞかし・・・と思う。しゃべりだしたら止まらない。

先日もメキシコへ行って母親と会ってきたジョランダが我家に寄ってくれた。アスターマニャーナの国の人だから来る時間はアテにならない。大抵一時間は遅れる。近々腕にヨリをかけて日本料理の定番、テンプラ、寿司、刺身をふるまってあげるつもりで約束した。

どう云う訳か帰りがけに頭髪の話になった。靴を履きながらジョランダが「ウチのハズバンドも殆ど髪が無くなって来た」と云う。 そう云えばデービットの髪の毛がどうなっていたか思いだせなかった。そして最後に彼女は「ウチはToo Much Sexだから・・・」とシャーシャーとのたまってダハハハハ・・・と大口あいて笑いながら帰っていった。人間ここまでアケッぴろげに云われると卑猥さなどは全く感じないもので清々しい。何と明るい人種なのかと感心するばかりである。デービットも鮭を獲りながらクシャミをしていたことだろう。

北に一時間車を走らせた山間の名所スクーカムチャック。潮の干満のたびに一日4回の大ページェントが繰り広げられるこの入江と大海の狭い接点を見にゆく人は多い。後楽園の恐らく100倍を越える海水がせまい水路を一気に通り抜けようとする勢いのすごさは他に見たことがない。こんな自然の営みが気が遠くなる程の昔から毎日繰り返されていたとは、にわかには信じられない。まるで大地の動脈の流れを見るようだ。まさしく地球は生きている。

今年も桃の花が咲き、そろそろ樹々の新芽がふくらんで来た。半年の長い雨期を通り抜けてようやく春。

今夜は絵に描いたような満月。ペンダーハーバーは静まり返って音がない。本当に2000人の人が住んでいるのだろうか。底なし沼のように夜が深くなってゆく。私のまぶたも重くなってきた。それでは皆さんPENDER HARBOURからおやすみなさい。又いつの日か・・・・。

 

2007年6月28日号(#26)にて掲載

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