(前回より続く)
バンクーバーに移り住んで二年目。再び魚釣りのためにボロボートを手に入れた。海の釣り、新鮮でうまい魚を手に入れるためにはどうしても魚のいるところまで、こちらから出向かなくてはならない。バンクーバーではもっぱらヒラメ、カレイ、ロックコッド(カサゴ)それにアイナメの釣りを楽しんだ。

故障がちの中古ボートのエンジンをいたわりながら、ヒラメの刺身、カレイの一夜干し、カサゴの煮付け、アイナメの塩焼は我家の定番となった。日本の居酒屋でいつも食べていたこれらの肴はカナダにいることを一瞬忘れさせるような日本の味だった。シシャモが獲れれば軒先で天日に干し、子持ちシシャモの干物ができた。絶品の酒の肴だ。

バンクーバーの魚釣りを 年楽しんだのち、サンシャインコーストに移り住んだ。ペンダーハーバー湾にボートも道づれとなって舫うことになった。典型的なリアス式海岸であるこの地の海辺は地図を見てもわかる通り入り組んだパズルのような海岸線の連続でボートで魚釣りに出ても「行きは良い良い、帰りはこわい・・・」自分のボートを舫う場所がわからなくなる程である。

村に一軒しかないスーパーに行ってみれば、予想に反して並んでいる魚の種類がまことに貧弱で、あるものと云えば鮭、湖でとれるトラウト(鱒)、ハリバット(おひょう)の切身位のものである。これでは何としても自分で魚を調達しなくてはならない。土地の人に夜の食事のメインデイッシュを聴くと「魚だヨ」と答える人がいるものの良く聴いてみればサーモンが圧倒的に多い。どうも「魚すなわち鮭」のようである。こんな時つくづく我々日本人は「魚食民族」なんだなあと思う。

考えてみれば50才まで暮らした日本の生活では、あたりまえのように沢山の種類の魚を食べていた。今となってみると信じられない程の多様な海産物にめぐまれた生活だった。鐘や太鼓で探しても、このサンシャインコーストでは私が恋いこがれる酒の肴の代表格、イカ、サンマ、アジ、サバ、カツオには先ずお目にかかることは、むずかしい。仕方がないのでそういう魚がどうしても欲しくなってきた時は、バンクーバーに用事ででかけるついでに冷凍されてBOXにおさまっているものを手に入れて、我家の大きな冷凍庫に保存する。だからこの地の冬の名物のような強風をともなう「小さい嵐」になると、これも当地の名物?停電がこわい。魚食民族の宝物箱のような冷凍庫の電源が切れるのが事の外恐ろしいのである。

かくて魚食民族の端くれ、中でも酒飲みの私は「レジャー」ではない「生活必需品」としての魚の確保のためにヒンパンにボートを繰って食卓にのる魚を探し求める。こうなると、もうそれは「フィッシング」と云う遊び的な響きを持った釣りではなくもっと切実な意味あいをもったものである。

春になるとサンシャインコーストに毎年約束したようにニシンの群れが産卵におとずれる。昨年の3月25日港のボートを舫っている桟橋でボーッと海を見ている時だった。水面に写っている雲だと思っていたら、その白っぽい影が私が座っている桟橋の下を通り過ぎる。アレッと思ってよく見たら、数万匹のニシンの群れだった。

それから数日後、辺りの海でニシンの産卵が始まった。そのニシンを追って北の方からくるアザラシが増えてくる。小島の廻りの岩礁に上ったアザラシが咆える声はライオンのようで、その辺一帯の海域がニシンの雄が放出する精液で白濁している。 
港の桟橋を支える為に海中から立っている柱にもニシンの産卵が始まる。数千とも思えるニシンの雌が海中の柱の下の方から上に向って這い上るようにして卵を産みつける。その廻りを雄が泳ぎ廻って精子を撒く。いつ終るともないその作業は人が桟橋を歩こうが、海中をのぞき込もうが一向に止まない。 
ボートから、タモ網を持ちだし、ニシンの塩焼きを思いえがきながら、ひたすら産卵で忙しいニシンをすくいとる。たちどころにバケツは抱卵ニシンで一杯になる。翌日「数の子昆布」の製造?を思いつき市販の大きな乾燥昆布をひろげて何枚も桟橋から海中にぶら下げた。柱に産みつけるよりは、ニシンにとってはるかに「気分よく産卵が出来る筈」と思った。ビッシリ黄金色に卵が産みつけられた昆布を引き上げれば即ち「数の子昆布」の出来上りである。

翌日、勇んで港にゆきワクワクしながら昆布を引き上げた。しかしどうしたことか、すぐそばの柱には5ミリ程の厚さにビッシリ数の子が産みつけられているのに、我が昆布には一粒も産卵がない。ニシンが去った桟橋に座り込み腕組みをしてしばしその原因を考えた。その結果、思い当ることが一つあった。昆布は本来海底から生えて上に向って伸びているものである。そんな昆布をいつも見ているニシンにしてみれば、上からぶら下っている昆布は初めて見るもので「どうも変だな・・・」と本能的に感じたのではないだろうかと思っている。ニシンに聴いた訳ではないけれど・・・。

間もなく3月。又多分約束したようにニシンの群れがくる。今年は「数の子採り」の作戦を変更して、古来からの原住民の方式でトライすることにした。杉の枝を手折ってそれをいくつも海中に沈めるスタイルである。引き上げた時の枝は数の子がビッシリ生みつけられ、黄金のサンゴのようだと云うではないか。それにしても数の子で大さわぎしているのは、日本人だけ。ましてペンダーハーバーで魚を追っかけている日本人は私一人なのである。心細くないと云えばウソになる。

私が住む島や近くの島の磯にはカキが豊富にあることがわかっているものの潮が引いた時にタイミング良く獲りにゆくことが仲々むずかしい。かなりの体力も消耗する。このごろはおっくうになってカキは隣の島ネルソンアイランドのカキ屋Tedにデンワする。一時間後に港の桟橋で待っていると小さなエンジンの音がして小船にカキを積んだTedが現れる。4ダースで20ドル(約2000円)ワラジのように大きなカキが手に入る。カキフライもさることながら海から獲りたてのカキの生食も絶品で二、三個ポン酢で食べると身体に生気が漲ってくるようである。おかげで生ガキを開ける作業に大分慣れてそろそろ殻あけコンクールに出られそうだ。

〈次回に続く〉

 

2007年5月17日号(#20)にて掲載

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