(前回より続く)
東京湾、相模湾、房総半島、更には東京湾を出て、城ヶ島の沖合いまでボロボートを走らせいろんな魚との出会いを楽しんだ。だから、食卓にはいつも自分で釣った新鮮な魚の料理があって居酒屋にゆけば、いつもカウンター越しに板前の手さばきを見つめて魚をおいしく食べるコツを盗み見していたのもこの頃。

1988年カナダのバンクーバーに移り住んだ。仕事で訪れたバンクーバーの「濃い自然」と「人の生活」が見事に調和しているのを見てから、3年目の決断だった。それまで30年も、ただひたすら取っ組み合いをしていたデザインの仕事も切りあげて、バンクーバーの海辺に住んだ。自然の風景画を描くための沢山の画材に加えて、日本で使っていた釣道具をシコタマ持っての移住だった。釣竿の中にはどうたたんでも、2メートルを越す長物があって、これは背中に背負ってバンクーバー空港に降り立った。佐々木小次郎が厳流島の浜辺に立ったようで体裁がわるいことおびただしい。

バンクーバーには今では200軒を越す日本レストランがあるそうだ。特に海産物は豊富で魚好きの私には、何よりもうれしかった。日本料理に欠かせない魚料理それも自分の家で食べる魚は、自分が日本できたえた魚釣りの腕で調達しようと誓った。しかし、土地には土地の魚の釣り方がある。誰かカナダの釣りの指導者が欲しかった。幸い二人の達人を見つけ出すことに成功した。この二人に付いての釣行が始まったのはそれから間もなくのことだった。魚を釣る目的は、あくまでも、それをおいしく食べること・・・と云う点でも、この二人の指導者とピッタリ一致した。

厳しいカナダでの釣りの教えを黙ってきくこと3年。バンクーバー近辺での磯釣り、トローリングも含めた船釣りの要領がおおよそ飲み込めた。なにしろ「うまい魚を食べたい」と云う極めて単純明快な願望があるので飲み込みも早い。日本では鮭は釣ったことがなかったのに指導者T氏に連れられて河で初めてコーホーサーモンを釣った時は、さすがの引きの強さに河原に座り込んでしまう有様だった。

魚釣りもさることながら、河原に10メートルおきに陣どる釣り師が、申し合わせたように、釣ったサーモンの腹をさいて鮮やかな紅色の卵をとりだし、それを河原においたまま引き上げるのを見て、こうしてはいられない!
と浮足立った。バケツを持ってそこらじゅうに置き去りにされたサーモンエッグを収集したら、すぐにバケツ一杯になり、家に帰って塩をまぶして、冷蔵庫に入れる。3日経ったら、卵がすき透った赤になり大量のスジ子ができた。

まずは足許の釣りから・・・と思って岸辺から釣れる魚を狙う日々が続いた。バンクーバーのイングリッシュベイに面したUBCと云う当地きっての名門大学がある。この半島の足許は夏になるとスメルトが産卵に押しよせる絶好の漁場である。私の釣りの先生であるU氏のお気に入りの場所でもあった。岩がゴロゴロと転がる浜辺は初夏と共に、大勢のスメルト獲りの人で賑わう。スメルトは微妙にシシャモと違うらしいが、天日に干して火で焙った塩焼きは卵が口の中でプツプツとはじけ酒の肴に絶品である。どこがシシャモと違うのか私にはわからない程で、英和辞典によっては、和名がシシャモになっている。

西の海に落ちる夕陽をあびて、浜辺に点在する人々が、テニスのネット状のものを岸から沖合いに伸ばして張る。ネットの上端には浮きがあり、ネットの下端には重りがついているので網は縦に立つ。夕陽が沈む頃、波に乗るようにシシャモの大群が訪れる。第一波、第二波と申し合わせたように数が増え、子持ちのスメルトが網にかかりだす。その数はひと網で50匹、100匹になる。その網に首を突っこんだスメルトを狙って、アザラシが現れる。なる程アザラシにしてみればスメルトを追いかける手間がはぶける訳だ。中には網に突進し、網を突き抜けてゆく猛者もあって、胸まであるゴムの防水着をきて漁師たちは、網からシシャモを外しながら、アザラシに石を投げつけて追い払う。

やがて、西の空と海が一瞬真紅に染まったかと思うと、一気に夏の陽が落ちる。バンクーバーになくてはならない「夏の風物詩」ではある。時には500匹、600匹のスメルトの収穫となり、フライにして食卓にのせる人、一夜干しにして、酒の肴にする人それぞれである。

ある夏、ワイフの母が大阪からバンクーバーを訪れた。私はこのスメルト獲りの風景をぜひ見せたかったので夕暮れ近い漁師が居並ぶ浜辺に案内した。海辺だと云うのに湿気を感じない夏の夕暮れは爽やかで、丸太に腰かけてやがて落ちる夕陽を眺めていた。

その時海に向って左手の方から、網をたたんで持ちリュックを背負ったおじさんが歩いてきた。漁を早仕舞いしたらしい。上半身はランニングシャツを着ているものの、下はスッポンポンで長靴をはいている。我々の前を通りすぎる時、ワイフの母も目のやり場に困ったと云う。彼が通りすぎたあとさすがに母がプーッと吹きだした。そうしたら、10メートルも先まで歩いたおじさんが立ち止まって振りかえり、不思議そうな顔で我々を見ている。どっちが不思議なのか、こうなるともうわからなくなる。これが日本だったら、「ワイセツ物チン列罪?」ですぐおまわりさんのお世話になるところである。そう云えば、この浜の地続きにはバンクーバーで有名なヌーディストビーチがある。
〈次回に続く〉

 

2007年5月3日号(#17)にて掲載

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