〈前回より続く〉
北米の先住民である彼等が話す言葉の中で最も印象にのこったのは「万物には霊がある」と云う部分だった。我々も子供の頃、親に叱られついでに「そんなことをしているといまに牛になるぞ・・・」等と云われたことがある。牛であれ、豚であれ、その言葉の中には対象物をさげすんだ意味合いが込められているのを否めない。しかし彼等に云わせれば、たとえ牛でも石でも木でも又一本の草にも霊があり、生まれ変わって次に石になっても己の魂は永遠にその石の中に受け継がれてゆくのだと云う。 
その考え方は決して自然界の「物」に限らず、桶や鍋、ヒシャクのような生活用品もしかり。だから先住の人達は物を呼んだり指したりする時、石は「石の人」、蛙は「蛙の人」そして花は「花の人」と呼ぶのだそうだ。そこには決して「この世界を牛耳っているのは人間である」という侮りもなければ高ぶりもない。世の中の「物」も「者」も全て平等であり仲間なんだという「生きていく上の信条」ともいうべき彼等の思想を感じとれる。自分が死んで、たとえ次にコオロギに生まれ変わってもそれはそれでとても幸せなことであり、自分の魂はコオロギに受け継がれてゆく・・・魂は不滅ということだろう。

物に霊や魂が存在するとなれば、当然それらに対して粗末な扱いやさげすんだ考えはできなくなるのが当然であり、ましてそれが生き物となれば尚さらのことだと思う。子供の頃、自分が犬や猫になり替って擬人文を書いたことがある。しかし、石や鍋の気持を書いた記憶はない。せいぜい動物どまりだった。何と平和でやさしい思想なんだろうと思う。皆がこんな考え方をしていれば、争いごとなど起こりようもない。

又彼等は「全てを許す」ことを生活の基盤、信条にしているとも聴いた。この言葉を実証するような悲しい出来事が彼等のそう遠くない過去の歴史の中にいくつかあるのを私のとぼしい知識の中にも見いだせる。北アメリカとユーラシア大陸が陸続きだった約一万八千年前、水がなくなったベーリング海を渡って「北米の先住民」となるはじめての人々がアジアからやってきたそうである。それは地球最後の氷河の時代が終る頃であり、それから気が遠くなるような長い年月をかけて、彼等は北米大陸を南に下って行ったと聞く。分派し、結合しながら各地に文化の拠点を作ってゆくその悠久の歴史の中で、このような生活信条が育くまれていったのだろうか。全ての物には霊魂があり、全てのことを許す・・・。この言葉の中に私は人間がこの地球上に繁栄してゆく「鍵」のようなものを感じてならない。そして人は、この地上に何かのサポートによってまさしく生かされている。決して地球を支配している訳ではないことを改めて考えずにはいられないのだ。

「五世代前にはモンゴリアン」と話してくれた若い先住民に我々日本人の赤ン坊の尻に出来る蒙古斑点について尋ねてみたが彼は自分達の赤ン坊も含めて、知らないようだった。しかし遠くを見つめるような目でポツリポツリと祖先のことを話すその青年のマスクの中に私は日本人の血も感じるような親近感を覚えた。もしかして、離合が繰り返された彼等、祖先のアジアの時代に日本人の血の混入もあったであろうことを否定できなかった。

我家に同居する猫は二才半の三毛猫。メスである。サンシャインコーストに移り住んで間もなく同居したこの猫は遠くカナダ、プリンスジョージの施設が一杯になって、この地に移されてこられた猫で、引きとりに行った時遠い故郷を想いだすような目で施設の窓辺に座って外を見ていた。幼い猫にとってまだ母親のぬくもりが記憶にあったのではないだろうか。今やこの猫は大きくなって、あろうことか生の白菜、スパゲッティー、日本そば、それにほうれんそうのお浸しが好物である。以前は私も「あのね、あんたは猫なんだろう?」などとあきれ返っていたが、先住民の話を聴いたあとは少し考え方が変った。この猫も猫ではなくて「猫の人」なんだと思うようになった。

まだ、石に話しかける程人間ができていない私はこの猫と会話をする努力をした。半年掛ったが遂に2カ月前に短かい会話が成立したのである。ある寒い日の朝、窓辺で背を丸めてボーッと霜が降りた庭を眺めているこの猫のそばに行って名前を呼んでみた。長い時間をかけてレッスンに励んだ成果が出たのはその時である。「んー?」と語尾を上げて返事をし、私の方を振り向いてくれたのである。人間だったら「何?」と云う感じだった。シメタ!と思った私は次に「今日は寒いね!」と彼女の目を見ながら話しかけてみた。そうしたら今度は「んー」と語尾の下った返事をして再び目を外に向けたのである。「そうだね・・・」と私には聴こえた。極く極く短かい会話ではあるがかくして画期的?な猫との対話が成立したのである。

よし!次は三軒トナリの「馬の人」だ。

 

2006年12月14日号(#51)にて掲載

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