「ネイテイブのサウナの儀式に行ってみませんか」友人のB氏からの誘いを受け雨の降るペンダーハーバーを車に乗ってSecheltにあるカナダ先住民の居留地に向った。2003年の3月、寒い日だった。

一般の人が仲々簡単に体験することはできないそうで貴重な機会だった。 分程南に国道101を走り、車が左折して森の中に入ってゆく。案の定予報の通り、雨が次第に強くなり、おまけに風も伴って最悪の天気となった。薄暗い森の中の巨木がゴーゴーと鳴ってゆれている。

「ここです」案内してくれたB氏の車が止ったのは、クリークの水が流れる森の中の空き地だった。そこから一段高い場所に樹木を伐採して作った15メートル四方程の平らな土地があった。焚火がものすごい勢いで炎をあげ、そのかたわらに十数人の半裸の先住民がいて私達を迎えてくれた。炎で顔をテラテラさせながらB氏が私を紹介してくれた。

その広場の中央に直径が5メートル程のお椀を伏せたような形のサウナ小屋があった。木の枝を骨組みにして、ビニールや毛布で何重にも覆ったまことに素朴な小屋だった。その傍らに樹と樹の間にビニールを渡しただけの衣類を着替えるためのスペースがあり、私は勧められるままにそこで着ている衣類を脱いで水着になった。

サウナ好きの私は仕事の疲れをとるため、日本にいた頃からよくサウナに通った。日本の街にあるサウナは温度が110℃にもなる高熱のサウナで汗を流して外に出た時の爽快感は格別だった。この日の「サウナの儀式」なるものにもそんな気軽さでノコノコついて行ったが、目の前に展開された光景は、およそそんなイメージとは違うものだった。

燃えさかる焚火の熱で辺り一帯が真夏のような暑さの中、私は出損なったお化けのように佇むばかりだった。焚火の真っ赤な炎の中にバスケットボール程の大きさの石が山のように積まれてこれも赤く燃えて炎を上げていた。石が燃えるのを初めてみた。二人の若いネイテイブが次々と炎の中に大きく切った薪を放り込み間断なく焚火が炎を上げる。雨がかなり強く降っているのに炎の高さは3メートルもあった。この火炎を見ている内に、私はこれから始まるサウナの小屋の中で展開される先住民の「儀式」に強い興味を覚えたものの、一種の恐怖感のようなものを感じ始めていた。しかしその反面、本来であれば部落内の先住民だけで取り行われる彼等の「宗教」に根ざしたこの神聖な儀式に、我々のような「招かれざる客人」を寛大に迎え入れてくれた彼等に次第に親しみを覚える自分がいた。

燃えさかる焚火のそばでこれから始まる「サウナ小屋の中での儀式」を前にB氏が説明してくれたことは、ざっと次のようなものだった。月に数回行われるこのサウナ小屋の中での儀式は元々先住民の人達の宗教に根ざしたもの。密閉された熱い狭い小屋の中で神に日頃の感謝の気持を表わすセレモニーで、同時にその儀式に参加した人の体から悪霊を追いだすのだと云う。セレモニーは四段階に分かれ、その1ラウンドは約20分。「神に対する感謝の祈り」と云う形で居並ぶ人々が一人ずつ、自分の祖先に感謝をする言葉、肉親への感謝の気持、創造主に対する祈り、万物の霊への祈りなどを捧げると云う。1ラウンドが終ると5分位の休憩をはさんで次のラウンドに進む。およそそんな説明だった。

私が育った生家は埼玉県で、神道が代々の信宗であった。叔父は川越市のはずれにあった小高い山で慶応元年に端を発する御嶽神社を守る神主だった。木曽の御嶽山の流れをくむこの神社は、今も私のイトコが守り継いでいるものの私自身は全くの無宗教。ましてや寒い北米の3月にサウナと聴けば「やれ有難や、汗をかいて体が暖められる」と云う単純な連想となってこの日の「儀式」に駆せ参じたことは否めない。

又一方で北米に生活の拠点を移した私にとって、いわゆる先住民と呼ばれる人々の生活には少なからず興味があった。北米に住む先住民のルーツは主に東アジアにその源を発し、大きな移動を繰り返しながら、やがてとてつもない遠い昔にベーリング海峡を渡って北米に足を踏み入れ各地に散らばって部族の拠点を築いていったことも、本を読んだり、講演を聴いたりして知った。 
この日森の中の焚火のそばで初めて言葉を交し、皮膚の色こそ赤銅色だけれど、マスクは明らかにアジア系と思われる彼等と一時を過ごすことになった私は次第に異和感を感じなくなっていた。音を立てて燃える焚火の煙の中で見る人達はそう云えば日本の誰かに似ている人が多かった。むかし暮らした生家の近くのそば屋の店主や自転車屋のあのオジさんに似た人、それに中学の体操の先生にそっくりな人もいた。

やがて「儀式」の時が来た。雨でズブ濡れの「サウナ小屋」の一角の毛布がはね上げられた。私達二人は真っ先に小屋の中に招じ入れられた。小屋の中は照明もなく真っ暗闇。円形のスペースの一番奥にアグラをかいて座り込む。床は毛布が沢山敷きつめられている。しかし、この日の豪雨のためか小屋の中で使われる水のためかズブズブに濡れていた。水着だけの尻が、浸みる水に冷たかった。毛布をはね上げられた小屋の入口からの薄明かりの中で見渡すと、小屋の中には十人程の人が車座になって座ったようだ。二人の女性が居た。

これから焚火で真っ赤に燃えている石が車座の中央に運び込まれ、いよいよ先住の人達の「創造主への感謝」の儀式が始まる。
私の緊張が高まった。

 

2006年11月2日号(#45)にて掲載

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