寒さも身にしみる2003年の10月の末。私達がサンシャインコーストのペンダーハーバーに住んで初めてのハロウィンの晩だった。 午後4時頃には陽が落ちて、近くの子供達が一軒一軒の家のドアをたたいてお菓子をもらいにくる7時頃にはもう物音一つしない闇だった。

それまでバンクーバーのコンドミニアムに15年間住んでいた私達は、ハロウィンの晩に子供達がお菓子をもらいに来るこの国の風習を知ってはいてもそれを体験したことがなかった。 駄菓子を買って夕方に備えた。 子供達がそれぞれ妖怪やドクロの面をかむり、衣装をこらして玄関に現れる頃には、私も京都の骨董市で買ってきた般若の面をつけ肩まであるビニールのササラをかむった。 衣装はと云えば作務衣である。鏡で己の姿を見たら、何とも吹き出さずにはいられないような格好ではあるが、見方によってはおどろおどろした東洋の化け物に見えないこともない。この格好で子供達にお菓子を渡そう。 玄関にスピーカーを仕掛け、暗い尺八の曲を流す。 これで良し! 準備完了。

近所の人から聴いていた通り、第一号の3人連れの子供が7時ちょうどに玄関のドアをノックした。スピーカーの音量を上げて、ザルに入れた菓子を持ち懐中電 灯で般若の面に下からフットライトを当てて、私は彼等の前に背中をまるめて登場した。さあどうだ!と云う意気込みだった。西洋と東洋の化け物の対決であ る。

しかし、意外や苦労した演出の割には、子供達は平然としている。中には一瞬たじろいであとずさりする子供もいるけれど、そのあと次々に現われる西洋の妖怪姿のチビッ子たちは総じて反応が薄い。 やっぱり東洋と西洋の「恐しさ」に対する概念が違うのだろうか。でも母親と一緒に来た魔女のコスチュームをまとった5才程の女の子は、私から菓子を受取ろうとして、急にウシロの母親の腰に顔をうずめてしがみついた。やったやった! ワイフはと見れば、私のウシロで浅草の仲見世で買ったオカメの面をかむりチャンチャンコを着てクニャクニャしている。どう見ても人前に出られる姿ではない。

結局この晩は総勢80名のチビッ子が訪れ、一体この子たちはこの草深いペンダーハーバーのどこから出てくるのかと不思議に思う程だった。はじめの内は玄関 に飛び出してはすごんで見せていた我々もしまいにはくたびれ果ててしまった。何しろわずか40分程の間に80名を越す訪問客である。玄関のドアを閉めて般 若とオカメが引っ込んだと思ったらもう次の子供がドアをたたく。日本の妖怪も最後には腰が抜けてギブアップであった。

この晩はペンダーハーバー湾の入江の一角で年に一度の花火大会がある。家々から待望のお菓子をせしめた子供たちは白い息を吐きながら船溜りの小さな港にか けつける。バンクーバーの花火大会のように大勢の人出はないものの海にせり出した小さな公園には、この土地に住む100人程の人が集まっていた。肉屋のリ チャードがいる。元タグボートの船長のレイモンドと 奥さんのドリーンもいる。レイモンドには引退後の野菜作りの畑から以前沢山の野菜を頂いたことがある。車の修理屋さんアントニーの奥さんも。
そう、皆同じ土地に住む親戚のように・・・。やっぱりここは村なんだ。やがて静まり返った港に背丈の低い花火が上る。夏の暑い人混みの中で長い間花火を見 て来た我々にはエリを立てて肩をすぼめて見る花火は、正直なところ一種の寂寥感が先に立つ。観客が少ないので大きな歓声もなく、最後にひときわ高く上った 花火のあとの拍手も暗い港に吸い込まれるように消えてゆく。

三々、五々家路をたどる影が動き、やがて北の港は漆黒の闇につつまれていった。

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