サンシャインコーストのペンダーハーバーに二つの名前を持つ島がある。ペンダーハーバーの出島のような島で周囲およそ14キロメートル。潮が満ちている時 は、本土側とこの島を結ぶ20メートル程の橋の下には 小舟が通れる水路が出来る。本土と切り離されるのでこれは明らかに島で、名前を「ビーバーアイランド」と云う。恐らくビーバーが沢山棲んでいたのだろう。 しかし、一日に平均して二度の干潮があり、その時は橋の下の水はなくなり、本土と地続きになるので、その時はこの島の名前が「フランシスぺニンスラ」と替 る。つまり本土側から見れば半島と云うことになる。夜も含めれば、一日に干潮、満潮を合わせて4回名前が替ることになり、何とも忙しい話だ。

島全体が森のような土地で、鹿を初めとする野生動物が多い。私はこの島の南端に住んで2年目。先日も家の前に水を撒いていたら、4頭の立派な鹿が森の中か ら出てきた。夕暮れ時でタンポポなどを食べていたが、少しずつ水を撒いている私に近寄ってきて、彼等との距離は、およそ4メートル。その内の2頭は、見る からに若い鹿で毛並もツヤツヤしている。6~7年前デンマンアイランドに遊びに行った折、その島の材木屋のオヤジが自ら鉄砲で撃ったと云う鹿の肉を網で焼 いてご馳走してくれた。柔らかくて、絶品だった。そんなことを想い出し、横目で彼等を見ながら水を撒いていたら、急に彼等は弧を描き飛ぶように森の中へ消 えていった。何か不隠な空気を察したのかも知れない。
この島はテキサダアイランドとの間のマラスピナ海峡に面しており、夏の赤潮のシーズンでも水はさほど濁らない。絶えず海流の動きがあるからだろうか。

先週小さなボートを走らせて、この島の南側の海域に釣りに出た。昨年釣ったスカルピンと云う鍋にもなる根魚を狙ったが、結果は大きなヒラメが釣れた。魚を 釣りながら少し遠方を見ると1頭の鹿が一つの小島を目指して泳いでいる。多分うまいエサでも探しに行くのだろう。犬かきならぬ見事な鹿かき?だった。更に よく見るとその鹿のうしろ5メートル程のところを2頭のアザラシが マラソンの伴走のようについてゆく。鹿は恐らく親戚の家に遊びに行くというような、悠長な気分で泳いでいるのではなく多分もっと差しせまった食べ物のため に懸命に海を渡っているのだろうが、元々アザラシから見れば泳ぎは素人。はたから見ていると、まるでアザラシが泳ぎの下手な鹿をヒヤかしてからかっている ように見える。「ホレホレ頑張れ頑張れ!」そんな声が聴こえてくるようだ。 アザラシが暇をもて余しているように見えて仕方がなかった。

その昔、鎌倉の海に遊びに行った。なけなしの小遣いでウエットスーツを買い足ヒレを買い、海にもぐる日を楽しみにしていたがようやく腰につける鉛のベルト も手に入った私にとっては初めての海底見学?の日だった。思ったとおり単なる海水浴とは異なる楽しみが始まった。

鉛のおもりのために浮き上れなくなったら大変だと思って、少しずつおもりを足して行った。4メートルの深さのところでバランスがとれて海面から2メートル程の深さを 漂う格好になり、時々水を蹴って水面に顔を出し呼吸をした。海の中の美しさに見とれていた。しかしその時思いがけないハプニングが起きた。どちらだか忘れたが急に足がつったのである。フクラハギのあたりがケイレンして 満足に足を動かせなくなった。今迄生きてきた人生の中では第一級のパニックだった。「普段の運動不足」と云う言葉が頭にひらめいた。それでも瀕死のドショウのように全力で浮き上っては空気を吸った。「そうだ腰の鉛のベルトを外せば 」と気がついた。すぐにワンタッチで外れるベルトに手が行った。ああ しかし そこにもう一人の冷酷な自分がいたのである。その鉛を外していいのか? きのう4000円出してようやく買ったばかりじゃないのか? 外したら又当分買えないぞ! それでもイイのか! 確かにそいつはそう云った。

そんな自問自答と戦いながら、もがくこと数分。足が海底についた。浜辺に向ってもがいたのが、せめてものメッケモンだった。この時ほど空気の有難味を味 わったことはなかった。大量に飲んだ海水で腹は一杯だった。気が遠くなりかけたが最後まで鉛のベルトを外さなかった。敢斗賞ものだと思ったが良く考えて見 ると、結果論だけれど4000円で命をかけていたことになる。それ以来海にもぐったことは一度もない。ウエットスーツもどこかへ行ってしまった。

先週見た鹿のあとを泳いでいたアザラシは、もしかして暇をもて余していた訳ではなくて、もし水泳の素人の鹿がおぼれたら助けてやるつもりだったのかしら。ヒラメは、久しぶりの白身の刺身となった。

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