桜の花が夕陽を背にして透きとおるような、まばゆく穏やかな夕暮れだった。
そのうしろに平安の昔に建立された五重ノ塔が厳然とそびえ立ち、その境内に参詣する人の姿も絶えた時間だった。
東京郊外のその広大な寺を訪れてから、かれこれ六年になる。
東京都下のK市で私の絵の個展を催すことになり、その前年取材に立ち寄った。K市近郊の名刹だった。

同じ武蔵野台地に生をうけた私は、何十年振りに訪れた武蔵野の春の風を頬にうけながら限られた取材最後のこの日、夕暮れが近いこの寺の境内で一点のスケッチを描き上げた。

西の端に沈もうとする、力を失いかけた陽の光と、その柔らかい光を背に受けて立つ五重ノ塔。白く透明感のある染井吉野の花びらが例えようもなく美しかった。

翌年の桜が再び満開になった頃、K市の駅に近い会場でその絵画展が催された。
しかし天候に恵まれず絵画展は初日から、雨と春の風にたたられた。

絵画展が今日で終ると云う日の午後、受付の女性が私を呼んだ。 
一人の来客が、私の一枚の風景画の前に置かれたイスに座って、もうかれこれ三十分も涙を拭っておられると云う。
はじめは眼にゴミでも入ったのでは…と思った私だったが念の為、そばに行って四十台半ばと思われるその女性に声をかけた。あまりに長過ぎる。

その和服姿の女性の目は泣きはらして痛々しい程に赤く腫れ上がっていた。ハンカチで、とめどなく流れる涙をぬぐいながら彼女がポツリポツリと話す言葉を聴く私は、いつの間にか辛くなって下を向いて絶句した。そして胸が締めつけられるような何かを感じて不覚にも目が潤んだ。
会場に程近い小都市に住むその女性は、ご主人が小さな会社を営んでおられ、今日電車で来場された方だった。
そして絵を見ながら歩を進め、会場中程の一点の絵の前でその歩みが止まってしまったらしい。

それは前年の取材最終日に私が夕陽の中でスケッチした前述の名刹をキャンバスにとどめた風景画だった。「暮れる平安の塔」それがタイトルだった。
前年この絵を仕上げながら、夕陽を背に桜の花がほのかにからむ、この薄墨のような五重ノ塔の絵の点景として人を配した。和服姿の女性のうしろ姿、その女性の子をイメージした女の子が母親に甘えてつないだ手を引っぱっている。「ねえ、早くおウチに帰ろう…」そんなポーズだった。どうしてそう云う二人の点景を小さく画面の一隅に入れたくなったのか…多分この陽が沈む名刹の情景に或るドラマを吹き込みたくなったのだと思う。彼女も訪れたことのある寺だった。
聴けば彼女の母親は彼女が七歳の頃、離婚され、しばらくは彼女と母親の二人だけの生活が続く。彼女は母親の愛情を一身にうけて母親に甘え、どこへ行くにも一緒。私の人生の中で最も楽しく忘れられない、まどろむような時代だった…と彼女は云った。それほど母親を慕っていた彼女の気持が痛い程私に伝わった。

しかし、その母親に抱かれたような生活は母親の再婚で突然中断された。幼かった彼女にとって、それは青天の霹靂以上の出来ごとだった筈。

そして自分から母親を奪った新しい父親を憎んだ。鬼のように思うと同時に自分を二の次のようにして再婚した母親をうらんで、毎晩のように彼女は寝床でなきじゃくったと云う。 
もう母親に甘え切って暮らしていた生活は夢の中にしかなくて、母親を憎み、うらみ続け、自分が結婚して子供が大きくなった今日まで、二度とあの幼かった日のような気持で母親と接する事は無かった…と云われる。

しかし今日、私の個展の会場で、幼い子供が夕陽の中で睦まじく母親に甘える絵を見て、この絵が自分のそばにあれば母親の再婚後は別にしても、あの七歳までの、何もかも忘れて母親に甘えられた幼い日を思い出し、遠くなった夢に浸り、母に対して素直な自分になれそう。「この絵の中のこの少女は私なんです。そう思いたいんです…」
そこまで話した彼女を再び嗚咽の波が襲った。

再婚した母親を、そこまで憎みながら今日まで暮らした彼女が不憫に思えて辛かった。
そこまで母親を憎んだことを裏返せば、それほどまで母親を慕っていた幼い少女の一途な気持が浮き彫りになってくる。
それを思うと、純真な幼い子供の、母親を慕う真水のように澄んだ心が伝わって私の胸を打った。
個展の最終日に降り続いた長雨が上がった。求められたその一枚の絵を、まるで母親を抱きかかえるように持った彼女が振り返りながら何度も私に別れを告げて、駅に向って歩いてゆく。
長雨で花も散り、そろそろ葉桜の季節に変りそうだった。

 

2010年10月28日号(#44)にて掲載

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