社会に出て間もない頃、勤務先の釣り部会に入って、あちこち乘合船で魚釣りにでかけた。
どう云う訳か寒い時の釣りが多く、魚の身がしまっておいしいからだと云う。
寒い時の釣りは竿を持つ手が、かじかんで思うように指が動かない。
腰に入れたカイロも厳寒期はあまり効き目がなく、こんな寒い思いをする位なら家でコタツに入って、ウツラウツラしていた方が良かったと思うことが度々あった。
そう云う思いをしても、しばらくすると又、釣りの誘いに乘ってしまう。釣り好きの因果である。
ある年の十一月の末、千葉の木更津へ最盛期だと云う飯蛸釣りに出掛けた。
仕事で出勤する朝は眠くてなかなか起きられないのに釣行の朝はガバッと一気に飛び起きる。
飯蛸釣りは大きめの鈎にしばりつけたラッキョウが餌で、この白いラッキョウに飯蛸が抱きつく。かすかな重みを感じたらグッと竿をあおって上げると体長が二十センチ程の蛸が仕掛けに抱きつくようにして上ってくる。
この飯蛸は里イモと煮つけると滅法うまい。この日も寒かった。身体が冷えてヒンパンにトイレに立つ。トイレと云っても一本の一メートル位の竹筒を渡されて、男は船べりに立って用を足す。竹の中の区切りは取ってあるので、海の中にそそがれる。その竹筒のことを誰が名付けたか花魁と呼ぶ。昔の花街の遊女のことである。
この命名は『風流』だな…と感心した。何しろ同船の釣客が皆この一本の竹筒のお世話になるのである。
女性はそうはいかない。その日の釣行には二人の女性社員がいたのに船にトイレが無い。ゆれる船尾で用を足す。誰かが大きな風呂敷をひろげて自分の目の高さまで掲げてカーテンをつくらなければならないのだ。有志がその大役をおゝせつかる。何とか同船者には見えなくなるものの、廻りを見渡すと、近くに乘合船が沢山集まっている。
艫には、さえぎるものが無いから、かなり情況はきびしい。
小さな釣り船に乘るとトイレもなく女性の釣り客は往生する。大抵二度目からは行かなくなる。その頃の釣り船はそんなものだった。
三十年も前のこと、東京築地の日本蕎麦屋で好物のカツどんを食べた、仕事先のIさんと一緒だった。彼は月見そばを注文し、二人で遅い昼食となった。
広告代理店に勤務するI氏は、その頃日本経済が最盛期だったこともあって仕事が多忙。毎日が三、四時間もの残業だそうだ。目も心なしか充血しているのがわかる。鼻毛が二、三本飛び出している。
私は早々にカツどんを食べ終わったがI氏が月見そばを啜るスピードが極めて遅い。
ジッと丼の中を見たりしている。少し心配になった。
さあ行きましょうか…とI氏が立ち上がった。丼の中には月(玉子)が残ったまゝだ。
「どうして玉子を食べないの?」私の問いに彼がボソッと答えた、「今日は十五夜だから…」
その日はいわゆる中秋の名月。日本人が古来から夜の月を愛でる日だったことを思い出した。
この人は、こんな疲れているのに、なんと風流な人なんだろうと思った。
家に帰るのが遅くて確かに月を眺める時間もないのだろう。せめて昼食に月見そばを食べて、おつゆに浮かぶ玉子を満月に見立てて、しばし心の安らぎを感じたかったのだろうと思った。それにしても…。
風流と云う言葉を辞書でみると、みやびやかで、おもむきのあること…と書いてある。
しかし昨今の砂を噛むような味気ない世の中で雅びを探そうとしてもむずかしい。
「雅」と云う言葉は、もう死語になりつゝあるような気がする。
屋形船に乘って芸者の爪弾く三味線の音色でもきゝながら、夏の夜の花火など見たいものだと思う。風流には違いないけれど現代はそんなことも簡単にはできない時代。
しかし日本人の心の中に、風流心が無くなってしまうのも淋しいし、怖ろしい。
長い日本の歴史が育んできた一種「湿潤」な独特の感性が消えたらもうおしまいだ。
今年の正月に、日本の友人岡本さんからの便りを受け取った。
現代俳句協会で活躍される氏の句には日頃の憂さを忘れさせてくれる酒脱があって私はファンの一人。氏が主宰する俳句結社の句集が送られるのが楽しみだった。
手紙にはご多聞に漏れず不景気であることが書かれていて、正岡子規の『「にもかかわらず笑うこと」まじめに向っては駄目』と云う言葉が引用されていた。
暮れにジャンボ宝くじを買われたそうで句が添えられていた。心のゆとりを感じる、風流な一句だと思った。

三億円人にゆずりて年の酒            久一

 

2010年7月15日号(#29)にて掲載

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