その陶器を扱う老舗は東京、日本橋の裏通りにあった。全国の名だたる陶器を扱う、いわば卸問屋で、著名なデパートや陶器の専門店に品物をおろしていた。
もう三十年もの昔、陶器好きの知人に連れられて、そのT商会を訪れた私は、全国から集まった選りすぐりの陶磁器に魅了されて、仕事が終ると、たびたびT商会に足を運んで梱包が解かれたばかりの名品を見せて頂く機会を与えて頂いた。

日頃の仕事はデザインと云う現代そのものの風潮に流される職場だったから、時代に育まれた歴史を感じる陶器を見ると心が落ち着いた。
社長は七十才を越えた方で一代でT商会を築いた温厚な方だった。
時代を経た陶磁器を見るような落ちつきと渋みを感じさせるこの方には二人の息子があり、その二人はT商会の専務であり常務取締役をされている。
しかし二人共どちらかと云えば現代っ子であり、今にして思えば、陶磁器の深い歴史や作品の良し悪しを見抜く仕事には向いていなかったような気がした。

兄のSさん、次男のKさんともにゴルフ好きで、ウィークデイでもお得意さんの接待と称してゴルフに出掛けてしまう。夜は夜で銀座に繰りだして、これも営業とやらで銀座裏のクラブのハシゴである。
この二人の兄弟役員のほかにもう一人創業の頃から勤め上げたOさんと云う役員がいたが所詮、外様大名でOさんは時々渋い顔をして、SさんKさん二人に苦言を呈していたらしかったが、そう簡単にこの兄弟は人の云うことを聞かない、
それまで絶好調だったT商会の実績に舞い上がっていて、この会社の本業を大きく外れた不動産の売買に手を出したりしたらしい。

このT商会の商標のデザインを新しく、リ・デザインする時があった。
社長が私にそのデザインを任せて下さったこともあってT商会と更に親しくなった頃社長が病を得て入院された。
二人の兄弟に因果を含めての引退だった。
もう一人の専務Oさんに二人の兄弟が仕事を逸脱しないように、くれぐれも頼んで入院されたが病状は一向に良くならないばかりか次第に悪くなる一方だった。

親の跡を継いで、息子のSさんが社長になり、次男のKさんは兄の社長を補佐する立場になった。
親である初代の社長から、これまで築き上げたT商会の信用と信頼をそっくり受けついだ二人は、何としても会社の実績を上げなければならない。しかし初代社長が引退された頃からT商会の業績は目に見えて下り坂になった。

たまにT商会を訪れた私が社長室に寄ってみると、新社長のSさんが、指に大きなカマボコの指輪をはめた手でゴルフのクラブを振っていたりする。
弟の専務Kさんも一緒で、その晩、得意先の接待で行く予定の銀座のクラブに電話をして予約など取っている。
商売のことなど全くわからない門外漢の私ですら「大丈夫なのかなあ…」と心配になる。二人の兄弟にとってみれば、傾きかけたT商会を盛り返す唯一の努力は得意先に対する接待攻勢と考えていたフシがあった。

しかし、二人共肝腎な扱い商品の吟味などは外様専務のOさんに任せたまゝだったらしく、帰りしなの私をつかまえてOさんが苦虫をかみつぶしたような顔で、それをこぼしたことがあった。
相変わらず本業の陶器とかけ離れた不動産を買ったりしていると云う。

先代の社長の症状が急に悪くなったのもその頃で、T商会の業績が極めて悪くなった頃と同時期だった。見舞った前社長の容態を心配するばかりだった。
私も仕事にかまけて、数ヶ月、T商会を訪れる機会が遠のいていたある日、一本の電話があった。二代目社長のSさんからで、明日社長交代のお披露目パーティーがあるから来てくれと云う。

良くよく聴いてみたら、あまりの会社の業績の悪化に先代社長がビックリして、急にあれほど悪かった病気が治ってしまって退院されたと云う。
それどころか、お前たちには任せておけないとばかり、来月から再びT商会の社長として返り咲くことになったとの事だった。

電話をかけて来たのが、会社の業績を悪化させてしまった本人のSさんだから、私もおめでとう…とも云えず困った記憶がある。
パーティーの会場で次男の専務Kさんが私のそばに来てニッコリ笑って云った。
会社の業績を悪くしたのは僕等兄弟だけど、親父の病気を治してしまったのも僕等なんですヨ!?


2013年3月7日号(#10)にて掲載

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