昔、まだ10才に満たなかったころ、母に手を引かれて、生まれ育った町中から近郊の農家まで二時間歩いた事がある。
その農家の主婦は母が若かった頃の教え子で、寒い冬の庭先に白菜が沢山干してあった。

暗い土間の、黒光りした上りかまちに腰かけ白菜の漬物を手の上に乗せられてお茶菓子代わりに食べた。
醤油がたっぷりかかった白菜を、子供の小さい手にジカに乗せられる訳だから、醤油がポタポタと指の間から漏れて往生した思い出がある。

甘いものが食べたい年頃だったから、お茶を飲みながら醤油のしたゝるような白菜漬を食べ、大人はどうしてこんなものがうまいんだろう…と思った記憶がある。
しかし、それから長い年月が経った今、白菜の漬物は私の大好物である。
冬の寒い朝、何はなくとも熱いご飯に白菜のお新香と味噌汁でもあれば、日本人に生まれたことに感謝したくなるような満足感を覚える。
味噌汁と云えば、東北の冬をしみじみと思わせる納豆汁がある。
東北で生まれ育った人に教えて貰ったこの納豆汁は納豆そのものが嫌いな人はともかくとして、寒い季節に体を芯からあたゝめてくれる。

納豆を摺り鉢で摺り潰すのは少々面倒だけれど、その粘って扱いにくいペースト状の納豆を、鍋に煮立った味噌汁に溶かし入れる。
急に辺りにほのかな納豆のあの一種、素朴な香りが漂う。
具はいつも小さな賽の目に切った衣ごし豆腐と油揚げを細くきざんだものをいれる。
調味料で味をととのえれば完成である。

北国の人達は、薬味として野の芹をつんで、それをきざんで散らすと云う。
納豆の風味と芹の発する大地の香りが絶妙なハーモニーを生み出し、心まで暖まる。
以前バンクーバーに住む日本の友人から芹の根を分けて頂いて、ペンダーハーバーの住まいの裏庭に埋めたが、やはり育たなかった。
薬味は、きざんだネギで代用している。
冬の木枯しが吹く寒い朝この納豆汁を飲んでいると、あゝ日本人に生まれて良かったなあ…と思うけれどパン食の時には合わない。太平洋戦争のようになって、口の中の収拾がつかなくなる。

私が生まれて育った土地は狭山丘陵に近かったせいもあって、子供の頃から狭山茶を良く飲まされた。
狭山茶に限らず、日本茶のあの苦みと渋みは、先ず子供が積極的に欲しがる味ではない。父親などは、ちゃぶ台に座れば必ず目を細めてお茶をすゝっていた。
かなり大きくなってからもこんな苦いものが、それほどうまいんだろうかと思っていたのに年を経るにつれて嗜好も変ってきて、今は時々濃いお茶を飲みたくなるのが不思議である。

凡人には深いお茶の味わいはわからないけれど、私にとっての緑茶は味よりも精神的に落ちつきたい時に欲しくなる。特に朝、起きた時、さて今日はどうするんだっけ…と考える時である。

昔は、なんだこんなもの…と思って馬鹿にしていたのに五十代になって俄然、昔の恋人を追い求めるように惚れなおした食べ物がある。
中でも蕗の煮物はその最たるものだ。字を見れば昔からどこの路端にでも生えていたものだろう。菊科だそうだ。
子供の頃は独特のあの青臭い香りが堪らなく嫌だった。

今住んでいるカナダ西海岸の漁山村に移り住んでから、俄に蕗の味が恋しくなって知人から少し根を頂き、裏庭に埋めたら見る見る内に根をひろげ、毎年春になるとフキノトウまで味わえるようになった。
ほろ苦いフキノトウの天ぷらは絶品で、カナダにいることなど忘れてしまう。

元来、日本そばは好物で、父親も新そば粉が出る頃、よくそばがきを食べていた。
そばがきは蕎麦粉を丼に入れて熱湯をそそぎ入れ、箸でかきまぜるだけで完成する。
熱湯の量を加減して、柔らか過ぎないボソッとした固さに練る。
自分で削る鰹節にキザミネギを入れて醤油をそゝぎ入れれば薬味ができる。箸で一口大のそばがきをつまんで、この薬味をチョンとつけて食べる。
立派な酒のツマミになるし酒を飲んでいる内に、腹もでき上る。
おつゆを作って、そばがきを水団のように放して、針ネギを散らせば、正しく日本の味である。柚子の香りが欲しい。
外地に暮らしても次第に自分の味覚が昔からの日本古来の味に傾いてきたのを感じ、不思議なものだなあ…と思う。
香りの良い新鮮な蕎麦粉はこちらのオーガニック食品を扱うスーパー・マーケットで手に入るのが有難い。


2013年2月7日号(#6)にて掲載

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