十二月も半ばになり、そろそろ御節料理の話題などが出るころになると、フッと炬燵を思い出す。
日本の昔の木造家屋は少し時代を経ると隙間かぜがどこからともなく入ってきて、背中を丸めて炬燵の中で掌を摺り合わせたりした。
家全体を暖める暖房設備などは無い時代だから、どこの家にもあった火鉢に跨がって炭火でお尻を暖めたりした。跨昇式緊急保温システムであり、冷え切った体を急いで暖めるには極めて効果的。
俗称を“股火鉢”とか、“キン◯マ火鉢”などと云った。

生家から歩いて十分と離れていない街中に母の姉が住んでいた。家業は薬局だった。
家が近いから叔母が年中母のところへ世間ばなしをしにくる。私が確か中学二年か三年の頃である。
年代の近い姉妹だから、よくそんなに面白い話があるものだと感心するほど母と叔母がお茶を飲みながら、年中笑い話に興じていた。

暮れも迫ったある年のこと例によって「こんちわ…」と叔母が現れた。
手にはミカンを下げていておばさんの顔は既にゆるんで半分笑っている。今日も又、二人の中年姉妹の長話しになりそうだと思った。
薄暗い茶の間の炬燵に陣どった二人が早速ミカンなど食べながら話に花を咲かせる。
私はふすま一枚隔てた隣の部屋で宿題か何かやっていたのだろう。

ふすま一枚だから隣の話はほとんど筒抜けである。話が段々盛り上がってくる。その日はどうやら特別の話題があるらしく十分もしない内に二人が声をひそめて笑い出した。姉妹が炬燵で向い合って、体をくの字に折りまげて笑いを噛み殺しているのが手にとるようだ。
何がそんなにおかしいのか私も隣の部屋でツイ聴き耳を立てた。

とぎれとぎれに聴こえる叔母の話はどうやらワイ談のようだ。中学生と云っても私はニキビ面の三年生。その位の察しはついた。

話はこうである。
叔母夫婦が営む小さな薬局。叔父はいつも火鉢のそばに座って新聞など見ているから、お客がくると叔母が出ていって対応する。
数日前の夕方。カランコロンと下駄の音がして近所の大工が現れた。
「うんちゃ…」と挨拶をしてショウ・ケースの中など覗いたりしているが妙に落ちつかなくて照れ臭そうだ。

叔母が気を利かせて「何をお探しでしょう?」とニコニコ話しかけても大工は怒ったような顔をして「名前を忘れちゃった…」と云う。
「どんな薬です?」叔母が問いかけても大工はブツブツ呟いていてよく聴こえない。
しばらくしたら大工が急にアッそうだ!と大声を出し叔母はビックリした。
どうやら買いたい薬の名前を思い出したらしい。

何です?と聴く叔母に、その中年の大工が照れ臭そうに笑いながら云った言葉はなんと「チンピンピン!!」
一瞬キョトンとした叔母は次の瞬間プーッと吹き出してショウ・ケースの内側にしゃがみ込んだ。大工には悪いけれど笑いが止まらない。
大工も一緒になって笑っている。叔母はとても仕事にならなくて茶の間に転がり込んで叔父に助けを求めた。

チンピンピン。聴けば何の薬か馬鹿でなければわかる。しかし、そんな名前の薬はない。大工が買いに来た薬は当時、催淫剤として売られていた「ヨヒンビン」だった。
アフリカ原産のヨヒンベと云う薬草を原料とする男性の精力増強剤で今も多分、薬局で売られている筈で、雑誌に広告が載っていたりする。

叔母が炬燵で、獲りたてののイカが鳴くような声で笑いながら話すのを中学三年生の私は隣の部屋できいていた。
大工は多分あっちの方が衰えて、女房に尻を叩かれるようにして特効薬を買いに出たものの、道々忘れないように薬の名前を繰り返し呟きながら歩いたらしい。
しかし薬局のガラス戸を開けて「うんちゃ…」と云って叔母の顔を見たとたんに薬の名前を忘れてしまった。

応対が女だから余計ドギマギして名前が出てこない。
その薬の効能を考えている内に効能そのものの姿が目に浮かんで、忘れない内にと思って急いで叫んだ言葉がそれだったのである。
叔父が出てきて大工の買い物は無事済んだ。考えてみれば男の悲哀と女房に律儀な大工のいじらしさを今になってみれば感じてしまう話だった。

小学校の教員を既に退職していた母と薬剤師の叔母が転げ廻るようにして笑っているのが、ふすま越しに私に伝わってきていつ迄も終らない。今頃はあの世の炬燵で姉妹がまだ笑い転げているだろう。


2012年12月13日号(#50)にて掲載

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