七十年代もそろそろ終ろうと云う頃、私はとんだ難題をかゝえ込んでいた。
東京、西銀座にあるソニービル。その屋外展示場に某化粧品メーカーのディスプレイが計画されて、私はそのデザインと取り組んだ。

そのディスプレイのメインに若い二人の女性の顔の白い彫像が寄りそう。その立体の彫刻は地上四メートル。
頭の上には十の人間の愛の形が乗るもので、若い男女の愛、老夫婦の愛、少年と動物の愛…。それらの像の間から清水が流れ落ちる。
化粧品メーカーのキャンペーンの核となるディスプレイである。これが決定案だった。
メーカーサイドからの厳命があった。当然なことだけれど、このディスプレイのメインになる二人の女性の彫像は「誰が見ても美人」と思えるマスクであること。
云うは易く行うは難し…。
むずかしい註文だった。

彫刻家による巨大な女性のマスク造りが始まる前の十日間、私は必死でギリシャ彫刻をはじめ、現代を代表する美人女優達、そして代々のミス・ユニバースたちの資料を集める作業に没頭した。

その中には、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、エリザベス・テーラー、ロッサナ・ポデスタ等に加え原節子らの日本女優もまじった。いづれも時代を代表する美女たちだった。

美人の公約数をあぶり出そうと思って沢山の写真資料とのにらめっこが続いた。
実に厄介で面倒な作業だった。個人的な嗜好もあるから中々「これだ!」と決めつけられない。
この際、私情は禁物とばかり、専らマスクの寸法、目、鼻、口の位置と比率の分析に幾日かが明け暮れた。

このコラム中央のマスクは苦心の結果、私がようやくつかみかけた、その時代の代表的な美人マスクの公約数である。数字の3が馬鹿に目立つ。
調べてみれば、世界的な傾向ではあるけれど美人の要素のメインは、今は西欧型の中にあると云えそうであった。

民族の美意識も時代と共に大きく変化するのは、あの平安の時代をえがいた源氏物語絵巻きに登場する数々の美女たちを見てもわかる。
今見ればお正月の福わらいの下地になりそうなマスクもその頃を代表する美人だったのである。

何はともあれ、ヒナ型の原型彫刻のOKが出て、本番の巨大な彫像の制作がスタートした。デザインが決まってから二ヶ月近い日が過ぎていた。

それから三十数年経った今この割り出した美人マスクの公約数を見て感じることは、殆ど現代の美人感覚と変っていないことである。
平安絵巻が作られた頃からの時代のへだたりと、わずか三十年、四十年の時間の経過とは所詮、比べものにはならないのだろう。

美人、つまり美しい人と云うのは、本来マスクだけの問題ではなくて、その人の心も含めてのことだろうと思いたい。人のマスクの成り立ちはむずかしい事はわからないけれど、遺伝子が勝手に決められた手順に基づいて、形づくる立体であって、心とは別物だと思う。どうもそんな気がする。
人はウッカリすると人間の外見で、その人間の内側まで判断しようとする。マスクはあくまでも人間の、とりあえずの看板であって、その看板だけで内部事情まで判断するのは極めてむずかしい。

この美人マスクの公約数で悩んだ頃、親しい近所の八百屋のおかみさんが我家へ遊びにきた。
しばらく世間ばなしに花を咲かせて、転げ廻って笑っていた彼女が、この完成間近の美人公約数の寸法図を見て、これは何だ?と云うので事情を話した。
彼女は非常に興味を示してこの寸法図がどうしても欲しい…と云う。
コピーして一枚あげた。その後、いつも遊びに来ていたこの八百屋のおかみさんが、あまり顔を見せなくなった。

かわって遊びにきた旦那にきいたら、どうもこのところ機嫌が悪くておっかないと云う。
鏡の前で何やら割り箸を鼻に当てたり物指しで顔の寸法を計っているそうだ。
そう云えば屑カゴに半分に折れた割り箸が入っていたと云う。
多分、八百屋のおかみさんは、先日私が渡した美人公約数の寸法図に基づいて、ご自分のマスクの実地検分をしたのだろうと思った。そして図中、鼻の先端とアゴを結ぶ線のあたりでハタと行き詰まった筈だ。唇がこの直線から出ると美人失格?!
ましてペキネンシス・タイプの場合には、鼻の先からアゴに障害物なしで割り箸を渡すのはどう考えても……。


2012年10月26日号(#43)にて掲載

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